ごあいさつ
2008年4月12日からまがりなりにも続いてきた毎日更新は、おかげさまで丸8年が過ぎ、9年目に突入しました。猫画像だけや小ネタの日、ダブり記事もあったりと、決して胸を張って言える事でもありませんが、それでも、出来る限り続けていこうと思っていますので、これからもよろしくお願い致します。ちなみに画像は静岡県裾野市内での撮影です。
View Article埼玉県飯能市~ときがわ町 奥武蔵高原スキー場跡への道(その1)
【16年2月14日探索・4月14日公開】埼玉県秩父地方には人工を含めてスキー場がない。神奈川県秦野市にはスキー場跡があったというのに、なぜ冬場にはそこそこ寒くなる秩父地方には無いのだろうか?と調べていたところ、秩父よりも少し東京寄り、ときがわ町の刈場坂(かばさか)峠の北側付近に、昭和10年頃から数年間「奥武蔵高原スキー場」があったという事が判明した。その跡はいまでも何かあったりするのだろうか?その記...
View Article埼玉県飯能市~ときがわ町 奥武蔵高原スキー場跡への道(その2)
【16年2月14日探索・4月14日公開】現在地はここ私の目的地、奥武蔵高原スキー場を先に簡単に紹介しておこう。戦前の昭和10年頃から数年間にわたり営業していたようで、詳細は飯能市の郷土史でも紹介されていた。さて、先ほどからずっと上り坂が続いているので、何かがあると気が紛れるので、歓迎だ。で、ここは何かな?錦の宮...
View Article埼玉県飯能市~ときがわ町 奥武蔵高原スキー場跡への道(その3)
【16年2月14日探索・4月16日公開】現在地はこの辺虚空蔵峠から先はずっとこんな感じになった。ヘリオス号は雪道にはめっぽう弱いのでずっと押しである。ちなみにこのあたりで横瀬町から再び飯能市に入る。道がぼやけているように見えると思う。この日は2月にしては大変気温が高く、雪解け水がそのまま蒸発していたためである。ちょっと珍しいものを見た。青看板があった。どうやら刈場坂峠に着いたようだ。刈場坂峠いこいの...
View Article埼玉県飯能市~ときがわ町 奥武蔵高原スキー場跡への道(その4)
【16年3月27日探索・4月17日公開】まさかの雪による撤退から1ヶ月半、雪はもう無いであろう3月27日に再訪した。ここは刈場坂峠だ。予想通り、すでに雪はなかった。奥武蔵高原スキー場周辺には3箇所ほどのヒュッテがあったという。この峠付近にもあったものと思われた。峠から約900m、右折する。林道...
View Article埼玉県飯能市~ときがわ町 奥武蔵高原スキー場跡への道(その5・最終回)
【16年3月27日探索・4月18日公開】現在地はここスキー場のゲレンデ跡であろうはずの場所に入った。この資料の地図で言えば、刈場坂峠側から下ってきて、水色に着色されたエリアの下の方になる。左を見た。当時、リフトはなかったそうなので、特に遺構は期待できないが、戦前のゲレンデ跡、ちょっと行ってみようか。何かの基礎かと思い近づいたが、おそらくは自然の岩だと思う。あるいは、もっと巨大だったものを削った可能性...
View Article栃木県塩谷町 船生林用手押軌道・第3次探索(その1)
【16年1月17日探索・4月21日公開】本日からの連載はこの記事の続きになる。本日の進路はS地点から1までになる。現在地はここ前回探索から約1ヵ月後、相変わらずウェブ上には情報が無い「船生林用手押軌道(仮称)」だ。時間切れで前回探索は途中で打ち切ったんで、この日はそうならないよう、午前中にこの場所までやって来た。この先を左折して・・・この分岐を左に折れる。前回帰りに通ったエスケープ道を通り・・・現在...
View Article栃木県塩谷町 船生林用手押軌道・第3次探索(その2)
【16年1月17日探索・4月22日公開】本日の記事の場所は1番から2番になる現在地はこの辺平穏な林鉄探索かと思ったら、とんでもなかった。崩落現場の上を見上げる。これは、高巻きもちょっとできそうにない。今度は下を見た。こっちも無理だな・・・一人作戦会議を開く。で、私はいったん200mほど戻り、西荒川の川原に下りてきた。遠くに見える崩落が、今越えられなかった崩落である。川原を迂回してしかるべき場所で路盤...
View Article栃木県塩谷町 船生林用手押軌道・第3次探索(その3)
【16年1月17日探索・4月23日公開】本日の記事は2番から3番まで(進まないなあ・・・)現在地はこの辺反対側崩落地点を見届けて、ようやく前進となる・・・かと思ったら、わずか20mくらい進んだ場所でまた進路がなくなっていた。ここは橋が架かっていた場所のようだった。せっかく路盤の位置まで上って来たのだが、また谷に下りて、上り直す。ふう・・・反対側路盤に復帰した。今度はどれくらい路盤が続くやら・・・また...
View Article栃木県塩谷町 船生林用手押軌道・第3次探索(その4)
【16年1月17日探索・4月24日公開】本日の記事の進行は3番から4番になる現在地はこの辺そろそろ谷の一番奥に近づいていた。そんな谷の一角に石垣のような構造物があった。この立地にあれば、もうあれしかない。間違いなく、橋台だろう。この林用軌道の廃止は明確な資料がないのではっきりしないが、接続線である東武矢板線の廃止(昭和34年6月)よりも後という可能性は低い。昭和34年(1959)の廃止だったとして、...
View Article栃木県塩谷町 船生林用手押軌道・第3次探索(その5)
【16年1月17日探索・4月24日公開】本日の進行は4番から5番になる現在地はここ作業道を進む事約200m、作業道は右へと曲がっていく地点だ。このあたりで、軌道を思わせる地形が復活しているように見えた。左に入っていこう。こんな荒れ放題な感じだが、ここは確実に平場だった。小さな谷を渡る。ここにも橋台らしき遺構があった。なぜか橋の跡の詳細画像を撮影していなかった。先に進む。その先は今までとはちょっと雰囲...
View Article栃木県塩谷町 船生林用手押軌道・第3次探索(その6)
【16年1月17日探索・4月26日公開】本日の進行は5番から6番現在地はたぶんこの辺ここにも、おそらくは木の橋が架かっていたのだろう。反対側から、振り返ってみた。廃止後半世紀以上経っている割にはいい状態だ。何で、今まで誰もここの記事書いていなかったのだろうか?林用軌道という事で、ほとんどの人には興味の対象外だったのか??ここへ来てかなり歩きやすくなってきた。先を急ごう。ここも何かの構造物かと思ったら...
View Article栃木県塩谷町 船生林用手押軌道・第3次探索(その7・最終回)
【16年1月17日探索・4月27日公開】本日の進行は6番から7番現在地はここ石垣が途切れたその先が開けている。この光景には見覚えがあった。最初の探索の時にピンポイントで探索していた場所だったのだ。なので、この石垣も懐かしい。5年の間に、多少苔が生育しているようだった。進路はこの先で途絶える。ので、いったん下(林道)に降りて軌道跡を見上げた。で、こんな谷を登っていく。ここも以前よりも酷くなったようだ。...
View Article山梨県都留市 蒼竜峡の橋とその先の道(前編)
【16年1月3日探索・4月29日公開】現在地はここ流れとしては昨日の記事からの続きだ。そして、本日分の大半はこの記事の再訪部分になる。十日市場駅から線路沿いを歩いていく。mapion地図には道が描かれていないが、一応歩行者は通れる。で、この踏切を渡る。踏切の名は11K680踏切、起点からの距離をそのまま踏切名にしている。警報機、遮断機無しの第4種踏切だ。こんな踏切だが、なんと軽自動車は通行してもいい...
View Article山梨県都留市 蒼竜峡の橋とその先の道(中編)
【16年1月3日探索・4月30日公開】現在地はここそしてすぐに道は消失した。流れ橋でもない永久橋を架けてまで通じていた道はどこへ行ったんだ?もしかしたら別の高さに道があるのかと思い振り返った。が、それらしい道は発見できなかった。実は2016年最初の探索がこの場所だったのだが、これはヘタすると実績無しになりかねない。少し角度を変えて撮影した。この場所、蒼竜峡の橋から200mくらいしかまだ進んでいないの...
View Article山梨県都留市 蒼竜峡の橋とその先の道(後編)
【16年1月3日探索・5月1日公開】現在地はここ国道139号線に出て、新佐伯橋を渡り、この旧道との分岐を今度は旧道方向に向かう。そう、ちょっとだけ遠回りになったのは、旧橋が修繕工事のために通れなかったためだった。ちなみに、旧佐伯橋の記事はここ(2009年9月訪問)ほどなくこの踏切になる。滝下踏切道という。遮断機が下りているが、これはセルフ踏切だ。富士急行線では3箇所目の発見になる。右左をよく見て、自...
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