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埼玉県飯能市~ときがわ町 奥武蔵高原スキー場跡への道(その5・最終回)

【16年3月27日探索・4月18日公開】


現在地はここ

スキー場のゲレンデ跡であろうはずの場所に入った。
この資料の地図で言えば、刈場坂峠側から下ってきて、水色に着色されたエリアの下の方になる。





左を見た。
当時、リフトはなかったそうなので、特に遺構は期待できないが、戦前のゲレンデ跡、ちょっと行ってみようか。





何かの基礎かと思い近づいたが、おそらくは自然の岩だと思う。
あるいは、もっと巨大だったものを削った可能性もあるが・・・





リフトは無かったそうだが、ヒュッテは3箇所あったそうだ。
また、先ほどの飯能市の資料には「スキー場の照明」なる表現があった。
これはナイターが行われていたという事か??

あるは丹念に探せば、照明の跡があるのかもしれない。

ところで、昨日の記事中に出てきた廃車だが、この左奥約150mの場所にある(はず)だ。
こんな道のない先に自動車が捨ててあったら、やっぱりキモチワルイよね。





いったん林道に戻り、道を下った。
ちょうどこのあたりがゲレンデ中央付近という事になる。





現在地はここ

ゲレンデの東端付近で左(ゲレンデ側)を見ると、何かいいカーブが誘っていた。





当時のスキーヤーはリフトも無い、現在のような車道も無いスキー場まで、武蔵野鉄道(現・西武鉄道)吾野駅からバスで約20分、その後峠を越え約1時間の徒歩行程の後にこのスキー場に辿り付ける事になる池袋からでも3時間以上はかかる事にはなる。
で、リフトがない(日本最初のリフトは昭和21年)ので、滑れるのはほんの数本だけであると思うが、それでも東京から唯一日帰りできるスキー場として賑わったそうだ(当時、日光には湯元スキー場(昭和7年開業)していたが、いろは坂がなかったので、日帰りは難しかったものと思われる)。
戦争と雪不足のため数年で閉鎖されてしまったのだが、降雪機を使って、現代でスキー場をやろうとしても採算は難しいのだろうか?





最後にご覧頂くのは、私が最も印象的だった勾配だ。
このすり鉢状になっている下の方までがゲレンデであった事になる。

遺構は特に発見できなかったが、何か感慨深いものがあった。

以上で連載は終了ですが、刈場坂峠と奥武蔵高原スキー場について詳しく書かれているサイトがあったので
こちらを紹介しておく。ご興味があればご覧頂ければと思う。

(おわり)

  

  

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