静岡県富士宮市 富士軌道・第2次探索(その2)
【14年12月28日探索・15年3月29日公開】現在地はここ地図上では十字交差点となっている場所に出た。ここから右に行く道は広見東林道という名の林道だが、0.7km先で行き止まりになっているようだ。直進は富士山(上井出)林道で、結論から言うと帰路はそこから戻ってくる事になったのだが、ひとまずは古い地図を信じて左の道へと入る。左の道って、これでいいのか??しかもそこからすぐに、道として描かれているもの...
View Article静岡県富士宮市 富士軌道・第2次探索(その3・最終回)
【14年12月28日探索・15年3月30日公開】本当はもう1回連載し、「その4」を最終回とする予定だったのだが、記事のまとめをしているうちに致命的ミスがあった可能性が高い事が判明した。なので、本来予定したものよりも大幅にアップ画像を減らして、今回で完結とするように変更させて頂く。谷の手前に、こんな筋があった。踏み跡では無いように見えたが、何だろう?何かをひきずった跡?それともやっぱり踏み跡なのかな?...
View Article山梨県市川三郷町 身延線沿線に残っていたハエタタキ(前編)
【15年3月7日探索・3月31日公開】JR身延線、甲府から富士行に乗り、甲斐上野駅を過ぎたあたりに、現在ではかなりレアになっているモノが残っていた。拡大すると、ハエタタキ(架空裸線路支持柱:昔の駅間通信用ケーブルの支柱)で間違いなかった。これは、次の駅からいったん戻ろう。幸い、次の芦川駅は割りと近い。で、芦川駅に降り立った。1面1線で、待合室のみがある無人駅だ。降りた瞬間に、私は再び驚いた。駅前にも...
View Article山梨県市川三郷町 身延線沿線に残っていたハエタタキ(後編)
【15年3月7日探索・4月1日公開】現在地はここ<このあと進行方向は3時>肉屋さんの前の角を左折する。しばらく進みと線路際に出る。信号機のそのはるか先に、あった。少しだけズーム。これで、この界隈のハエタタキは、少なくとも3本が残存している事になった。さらにズーム。碍子もほぼ全数に近いだけ残っていた。いつお役御免となったのかは不明ながら、大方、昭和40年代であろうかと思うので、もう40年以上は利用され...
View Article神奈川県相模原市 県道76号坂沢橋の第2次道探索(中編)
【15年1月17日探索・4月3日公開】現在地はここ出てきたのは、藤野芸術の家の駐車場の隅だった。この先、しばらくの間は旧道の痕跡はない。一応、方角だけ見てみよう。・・・旧道、はっきり言ってどこにも痕跡はない。家族連れなどが訪れている藤野芸術の家の、その脇をヘルメットを被った怪しげな中年が通り過ぎていく。建物の反対側まで進む。現在地は黄色矢印あたりになった。進む道は正面側になる。そして普通の地図での現...
View Article神奈川県相模原市 県道76号坂沢橋の第2次道探索(後編)
【15年1月17日探索・4月4日公開】現在地はこの辺橋が架かっていたであろう、その対岸を見てみたが、それらしいものは見つからなかった。進む「道」沿いに何か標柱があった。砂界??裏側は神奈川県のマークが入っていた。これは、砂防指定地の境界を示すものであるようだ。さて、橋の痕跡だが・・・この付近を探す。が、見つからない。この地形から言うと、おそらくは木製の吊り橋だったのだろう。そんな小さな人道橋の残骸が...
View Article埼玉県秩父市 粘土鉱山探索(中編)
【15年1月25日探索・4月6日公開】半分廃道のような道路を登っていく。この先にちょうど作業中の地元の人の軽トラが停まっていた。現在地はここそれは関係者以外立入禁止の看板の手前だった。私は関係者ではないので、この先への進行は諦めかけた。それでも諦めきれずにこの先の道について聞いてみたところ、軽トラの地元の方は「道はぬかるんでいる場所があるものの抜けられる」と言ってくれた。また、何よりも大きな情報も得...
View Article埼玉県秩父市 粘土鉱山探索(後編)
【15年1月25日探索・4月7日公開】道端に少し高い場所があった。この山だ。幸い、立入禁止と書かれていないエリアがあったので、そこから上ろう。現在地はここ現在地より4時の方角を見ての撮影だ。高くなったこの場所からでも、航空写真で見るような不思議な模様は見られなかった。1時の方角を見る。ここはどんな状態なのだろうか?粘土採掘は進んでいるものなのか、埋め戻している場所なのかも不明だった。現在地はここ先ほ...
View Article千葉県鴨川市 金山ダム周辺の道(後編)
【15年1月3日探索・4月9日公開】現在地はここ大きな石碑が建っていた。「玉滝大僧正頌徳碑」と刻まれていたが、「玉滝という偉い僧侶の功績を称えた」碑だという、そのままの意味しかわからなかった。この書体は当時の千葉県知事、柴田等氏のものであるらしい。なお、柴田氏の在任期間は昭和25年12月~昭和37年11月までとなっており、ダム着工が昭和29年である事も踏まえると、湖底となる場所から移転してきたもので...
View Article東京都檜原村 奥多摩有料道路の工事用道路(その1)
【14年12月7日探索・15年4月13日公開】まずはこの航空写真の画像を見て頂こう。これは国土地理院の空中写真閲覧サービスの画面の一部を撮影したものだ。場所は、東京都西多摩郡檜原村数馬...
View Articleごあいさつ
おかげさまで、2008年4月12日から続いている連続アップが7年を突破し、8年目に入りました。いろいろと失敗もしているので、あまり偉そうな事も言えませんが、出来る限りの事は続けていきます。これからもどうぞよろしくお願い致します!!
View Article東京都檜原村 奥多摩有料道路の工事用道路(その2)
【14年12月7日探索・15年4月14日公開】丸型滑り止めのコンクリ舗装都道は、終わりを迎える。現在地はここ<進行方向はいったん8時>奥多摩周遊道路である。この道も今まで通ってきたのと同じ都道206号線だ。突き当たって右の方に行けば、都民の森などを通り奥多摩湖へと行ける。この辺、少し広くなっているが、有料道路時代には料金所があった場所である。そして、左を向く。私が行くのは周遊道路ではなく、すぐに右に...
View Article東京都檜原村 奥多摩有料道路の工事用道路(その3)
【14年12月7日探索・15年4月15日公開】現在地はこの辺先ほどまでの車道規格の道は、進むにつれ怪しげな感じになっていた。まあ、ハイキングコースとしては特筆するほどの事ではないが。橋が架かっているぞ!架かっていたのは手造り風の木橋だった。が、橋の両側の道幅からすると、ここには元々車道規格の橋が架かっていたと考えるのが普通だろう。その先、踏み跡はシングルトラックである。築堤があった。私が築堤と思った...
View Article東京都檜原村 奥多摩有料道路の工事用道路(その4・最終回)
【14年12月7日探索・15年4月16日公開】現在地はこの辺左側の擁壁はコンクリブロックの近代的施工であった。また、道幅は広い。ダンプカーがすれ違いできるほどの広さだった。この道、奥多摩有料道路のパイロット道(工事用道路)にしか見えない。私の中ではそうだったのだが、それを確かめるべく東京都・西多摩建設事務所に「この道の素性」と「地理院地図が示すようにここは都道なのか」について質問してみた。すると、そ...
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