【15年2月1日探索・4月12日公開】
山梨県上野原市上野原 ここは県道33号上野原あきる野線が鶴川を渡る、鏡渡橋だ。
ここから2年前にはぼんやりだが何かの建物が見えたはずなのだが、この日はそれらしい建物が見えない。
ここから2年前にはぼんやりだが何かの建物が見えたはずなのだが、この日はそれらしい建物が見えない。
昨年の大雪か何かでつぶれてしまった可能性もあるが、そこに何があるのか、前から1度確かめようと思っていた。
なので、橋の脇からシングルトラック道に入っていく。
この、小さな川を渡る場所には木の橋が架かっていたのだが、どうなっているだろうか?
相当の大雨があったのだろうか、かなりの木などが流れてきており、それが大量に引っ掛かっていた。
その先、この石垣の辺りから左に逸れていく。
ちなみに、右のシングルトラックはかつて府縣道であったはずの道だ。
ちなみに、右のシングルトラックはかつて府縣道であったはずの道だ。
道とは呼べない、獣道のようなところを通り進んでいくと・・・
建物の屋根が見えた。
・・・が、ちょっと様子がおかしい。
・・・が、ちょっと様子がおかしい。
これが向風発電所の建物であったかどうか、古い航空写真も見てみたが決め手はない。
それ以前に、崩れてしまっているので他の部分から推測してみようか。
それ以前に、崩れてしまっているので他の部分から推測してみようか。
その向こう側にはまだ辛うじて残っている建物があった。
その内部だ。
発電所の管理者が駐在した建物なのだろうか?
発電所の管理者が駐在した建物なのだろうか?
いずれにせよ、この建物もそう長くは残っていなそうだ。
せっかくだから向風発電所の事、調べていた事を載せておこう(上野原町誌より)。
大正14年8月着工、大正15年5月完成、完成時は都留電灯(株)だったが、その後昭和16年に東京電灯になり、戦後の昭和26年に東京電力のものになっていた。
水力発電所であり、水車は横軸単輪単流 フランシス402kw1台、発電機は500KVA1台であったそうだ。
ちなみに、廃止は昭和46年(1971)、40年以上が経った事になるが、この建物も雰囲気的にはそんな経時であった。
水力発電所であり、水車は横軸単輪単流 フランシス402kw1台、発電機は500KVA1台であったそうだ。
ちなみに、廃止は昭和46年(1971)、40年以上が経った事になるが、この建物も雰囲気的にはそんな経時であった。