【14年12月28日探索・15年3月29日公開】
現在地はここ
地図上では十字交差点となっている場所に出た。
ここから右に行く道は広見東林道という名の林道だが、0.7km先で行き止まりになっているようだ。
ここから右に行く道は広見東林道という名の林道だが、0.7km先で行き止まりになっているようだ。
直進は富士山(上井出)林道で、結論から言うと帰路はそこから戻ってくる事になったのだが、ひとまずは古い地図を信じて左の道へと入る。
左の道って、これでいいのか??
しかもそこからすぐに、道として描かれているものとはお別れとなる。
このあたりから先の区間には古い地図以外、一切の情報がない。
軌道跡っぽい形状のものを見つけてそれを辿っていくしかなかった。
このあたりから先の区間には古い地図以外、一切の情報がない。
軌道跡っぽい形状のものを見つけてそれを辿っていくしかなかった。
掘割のすぐ隣がこんな築堤に見える地形だった。
どちらかが軌道跡であろうかとは思うが、断定できる根拠は現れなかった。
どちらかが軌道跡であろうかとは思うが、断定できる根拠は現れなかった。
それでも、左の方に緩やかに曲がっているカーブは鉄道っぽかった。
ヘリオス号は少し手前に待機させたが、だんだん進むのに大変になってきた。
昭和21年発行・5万分の1地形図「富士山」の抜粋部分では、黄色矢印あたりにさしかかろうとしている(はず)。
で、現代の地図だとこの辺になるはずだが、周囲に目印となるものがなく、現在地の表示は大変わかりにくいものになってしまった。
開削したのではなかろうかという、切り通しに見える場所があった。
その先、画像では何だかわからない状態になりつつあった。
現在位置はGPSで確認しながら進んでいるのだが、少々心もとない。
現在位置はGPSで確認しながら進んでいるのだが、少々心もとない。
明らかに広い平場があった。
ここが軌道跡であったなら、この場所は積み込み場(駅)的なものがあった可能性がある。
この先で、軌道は谷を越える事になっている。
古い地形図が正しいとすれば、橋が架かっていたであろう事が予想されたが、実際の現地調査で何かわかる事があるのだろうか??
古い地形図が正しいとすれば、橋が架かっていたであろう事が予想されたが、実際の現地調査で何かわかる事があるのだろうか??
(その3へつづく)