【14年12月7日探索・15年4月16日公開】
現在地はこの辺
左側の擁壁はコンクリブロックの近代的施工であった。
また、道幅は広い。
ダンプカーがすれ違いできるほどの広さだった。
また、道幅は広い。
ダンプカーがすれ違いできるほどの広さだった。
この道、奥多摩有料道路のパイロット道(工事用道路)にしか見えない。
私の中ではそうだったのだが、それを確かめるべく東京都・西多摩建設事務所に「この道の素性」と「地理院地図が示すようにここは都道なのか」について質問してみた。
私の中ではそうだったのだが、それを確かめるべく東京都・西多摩建設事務所に「この道の素性」と「地理院地図が示すようにここは都道なのか」について質問してみた。
すると、その返信にはこのように書かれていた。
「この道は元々昔からあった里道で、工事用道路として造っていない。また、道路の管理は檜原村であり、都道指定はされていない。」との返答だった。
「この道は元々昔からあった里道で、工事用道路として造っていない。また、道路の管理は檜原村であり、都道指定はされていない。」との返答だった。
そうは言っても昭和44年のこの写真を見る限り、元から道はあったにせよ奥多摩有料道路の工事用道路として車道規格に変わったと見て間違いなかろう。
左の擁壁だが、このあたりではずいぶんワイルドな感じになっている。
地面むき出しだと、やはり厳しいか。
崩落箇所があった。
崩落箇所があった。
左カーブになる場所、路面にはブルドーザー的な跡が付いていた。
あと、先のほうの支柱だが・・・
カーブミラーの支柱であろうか?
設置者や年代についての情報は得られなかった。
ショベルカーが見えた。ここは明らかに工事中だった。
しかしこの道路の工事ではなく、斜面補強による耐震向上が目的だった。
ショベルカーの先には、何かが放置されているっぽい場所があった。
最近置かれたものではなさそうだった。
終点が見えてきた。
現在地はここ
出てきたのは奥多摩周遊道路(都道206号)の数馬橋の西詰付近だった。
出てきた道を振り返った。
地理院地図が「点線都道」だと表示する箇所は、この先都民の森から鞘口峠経由の山道もそうなっている。
だが西多摩建設事務所の回答から推測すれば、その山道も都道である可能性は低い。
それでも、気にはなる。いずれそれも確かめてみようか・・・
だが西多摩建設事務所の回答から推測すれば、その山道も都道である可能性は低い。
それでも、気にはなる。いずれそれも確かめてみようか・・・
(おわり)