【13年9月7日探索・9月19日公開】
現在地はここ
地図上での道の途切れは50m、実際は旧道入口で廃道だったので、線路の反対側の道がちゃんとあったとして道のない区間は約100mだった。
その100m分の迂回にここまでに24分を要した(入口がわからなかった事もあったが)。
その100m分の迂回にここまでに24分を要した(入口がわからなかった事もあったが)。
この日高市清掃センター脇の道を進んでいく。
このあたり、左側は割りと広い平地が広がっていた。
将来的には何か出来るのだろうか?
将来的には何か出来るのだろうか?
ゴルフ場の縁を通っていくと・・・
急な下り坂と、掘割が見えてきた。
現在地はここ
坂を下りてから振り返った。
この右から降りてくる道と左の掘割道は日高市と飯能市の市境である。
そして、この掘割道こそが明治県道「飯能越生道」なのだ。
そして、この掘割道こそが明治県道「飯能越生道」なのだ。
ちなみに、ここまでの迂回に要した時間は40分だった。
連続ルートにはならないが、ここから旧道探索に入る。
なかなかヨイ感じの掘割が続く。
掘割は左カーブを描いていた。
かつてここには飯能・越生間の定期乗合馬車が走っていたという。
大正9年(1920)ごろに現道ルートが開通しこちらは旧道になった。
大正9年(1920)ごろに現道ルートが開通しこちらは旧道になった。
このあたりもまた緩い左カーブになる。
その先でいったん旧道を見失った。
・・・それにしてもクモの巣が多すぎる。
短い棒を持って前を引っかきながら歩くが、それでも4回ほど顔面がクモの巣に突っ込んでしまった。
短い棒を持って前を引っかきながら歩くが、それでも4回ほど顔面がクモの巣に突っ込んでしまった。
この先左側にまた掘割状の道を発見したので、さらにそれを進む。
そう言えば地図には道路であると描かれていたが、実際はこちら側も完全廃道だった。
現在地はここ
八高線の線路が見えた。
ここは明治県道があった所と思われるが、それらしい痕跡はなかった。
ここは明治県道があった所と思われるが、それらしい痕跡はなかった。
八高線の開業は昭和8年(1933)なのでその時点では既に旧道落ちしていた事になる。
周囲の地形から推測すると線路の横断は踏切があったと考えるのが自然だろう。
周囲の地形から推測すると線路の横断は踏切があったと考えるのが自然だろう。
(その3へつづく)