【15年12月26日探索・16年1月15日公開】
本日分はある障害があったため、距離はあまり進みません。4-2から5までの150mほどです。
軌道跡に下から道路が接続してきた。
エスケープ路の候補にはなるだろう。
エスケープ路の候補にはなるだろう。
実はこの時点で時刻は14時22分だった。帰路の事もあるが、この時期の山の中では15時過ぎの進軍は危険だ。なので先に進める時間は限られていたのだった。
その先の路盤だ。
意外なほど、状態よく残っている。
ここは崖なのだが、路肩を覗いてみると・・・
意外なほど、状態よく残っている。
ここは崖なのだが、路肩を覗いてみると・・・
画像ではちょっとわかりにくくなってしまったが、石垣が確かに見えたのだった。
さらに先に進む。
山側の擁壁は岩がむき出しになっていた。
これを削って路盤を作り出していたのだろうか。
これを削って路盤を作り出していたのだろうか。
この先もまだ谷の奥まで道はあるようだ。
ここで対岸を見る。
ここで対岸を見る。
ん!!
路肩の石垣がまだちゃんと残っていた。
橋は・・・
橋は・・・
さらに谷を進んでみた。
砂防ダムが見えてきたのだが、対岸には軌道跡らしき筋はまったくなかった。
ちょっと来過ぎたか・・・
砂防ダムが見えてきたのだが、対岸には軌道跡らしき筋はまったくなかった。
ちょっと来過ぎたか・・・
3枚前の画像の場所まで戻った。
この場所に橋が架かっていたようだ。今はもちろんそんなものはない。
この場所に橋が架かっていたようだ。今はもちろんそんなものはない。
・・・現在時刻は14時36分、この場所での撤収も考えたのだが、まだ進めるような気がした。
問題はこの谷を越えるのにどれだけ時間を要するか、だ。
問題はこの谷を越えるのにどれだけ時間を要するか、だ。
谷の底に下りた。
途中、不自然な苔だらけの丸太のようなものがあったが、まさか橋の残骸だったなんて事はないだろうと思う。
途中、不自然な苔だらけの丸太のようなものがあったが、まさか橋の残骸だったなんて事はないだろうと思う。
登るのに少々苦労したが、14時48分、対岸に渡る事が出来た。
黄色線の場所あたりに橋が架かっていたと思われる。
黄色線の場所あたりに橋が架かっていたと思われる。
時間が無いので急いで先に進もう。
(その6へつづく)