【15年10月18日探索・11月27日公開】
現在地はここ
今昔マップで示すとこの一帯
埼玉県秩父郡小鹿野町長留 国道299号線はほぼ直線で赤平川を渡っているのだが、この区間にはやはり旧道が存在していた。
今昔マップで見ると、150mくらいは上流側に旧橋があったようだ。
その旧道と、何か橋の痕跡を探ってみようと思う。
今昔マップで見ると、150mくらいは上流側に旧橋があったようだ。
その旧道と、何か橋の痕跡を探ってみようと思う。
そんな訳で、松井田バス停のところを左に逸れる。
泉龍院という曹洞宗の寺院がある。
このあたり、かつての幹線道路らしく2車線近くの幅員だ。
このあたり、かつての幹線道路らしく2車線近くの幅員だ。
現在地はここ
少し進むと、その先の道路規格が明らかに違っていた。
この左側の道(地図だと5時方向)は1.5車線もない、貧弱な道になっていた。
この左側の道(地図だと5時方向)は1.5車線もない、貧弱な道になっていた。
そうなると怪しいのはダンプカーの停まっている側になる。
ダンプカーの横を見てみると、埼玉県の道路補修資材置き場の看板が建っていた。
設置者が埼玉県という事で、間違いなさそうだ。
設置者が埼玉県という事で、間違いなさそうだ。
そして、その先、簡易バリケードの置いてある先には・・・
ずっと平場が続いているようだった。
mapion地図から推測すると、その長さは150~200mほどか。
mapion地図から推測すると、その長さは150~200mほどか。
とは言え、枯れた竹などが多数あるのと、クモの巣が多数あるので、進行には手間と時間がかかる。
ヘリオス号は先ほどのダンプの場所で待機させたのでまだマシだが、ホントに単独でも見た目以上に進行は大変だった。
先が開けてきそうだ。ちょうどこの場所で発見したのが・・・
左側にあった小さな石垣だった。
水路だったようにも見えたので、そうなのだろう。
水路だったようにも見えたので、そうなのだろう。
その先でようやく安心できる旧道になった。
この区間、明治43年(1898)に県道として開通した道路だ。
現ルートに変わったのは昭和38年(1963)らしく、65年間幹線道路だった事になる。
そして一線を退いてから半世紀以上が経つ。その割には綺麗だ。
この区間、明治43年(1898)に県道として開通した道路だ。
現ルートに変わったのは昭和38年(1963)らしく、65年間幹線道路だった事になる。
そして一線を退いてから半世紀以上が経つ。その割には綺麗だ。
ちなみに、国道299号線が国道に指定されたのは昭和45年(1970)なので、正確にはここが国道だった事はなく「県道秩父野沢線」の旧道という事になる。
(中編につづく)