【13年7月14日探索・9月8日公開】
現在地はここ
群馬県邑楽郡大泉町仙石 本日の記事は正確には熊谷線廃線跡の記事ではなく未成線と仙石河岸線の廃線探索になる。
ちなみに妻沼のキハ2002からここまでの記事が無いのはこれで利根川を渡ったためである。
右に見えるのはオブジェではなく、廃線マニアには有名な熊谷線(小泉線)の1脚だけ残された利根川橋脚になる。
元々熊谷線は昭和18年、軍関連の工場の多かった太田への従業員輸送のために建設された鉄道であり、終戦時には利根川を渡るべく橋脚の建設工事中だったという。
全部で27脚(私の数え間違いでなければ)存在したが、この堤外の1脚を除きすべて撤去された。
元々熊谷線は昭和18年、軍関連の工場の多かった太田への従業員輸送のために建設された鉄道であり、終戦時には利根川を渡るべく橋脚の建設工事中だったという。
全部で27脚(私の数え間違いでなければ)存在したが、この堤外の1脚を除きすべて撤去された。
反対側から見た。
こうして見ると、熊谷線と未成線、仙石河岸線の墓標のようにも思える。
こうして見ると、熊谷線と未成線、仙石河岸線の墓標のようにも思える。
未成線はほぼこの未舗装道の位置を通るはずだった。
ちなみに貨物線だった仙石河岸線の終点、仙石河岸駅はこの画像の左端あたり、現在野球場になっているあたりのようだ。
仙石河岸線だったところは現在いずみ緑道という遊歩道となっている。
右に東武運輸があるが、この付近がかつての新小泉駅だったようだ。
線路跡・・・実際そうなのだが、そう言われればという何だか微妙な雰囲気でもあったりする。
東武の境界柱がまだ残っていると他のサイトにはあったが、私は発見できなかった。
暑さのため探索意欲が減退していたせいもあるが・・・
暑さのため探索意欲が減退していたせいもあるが・・・
このあたりになるとここが線路だったと言っても信じてもらえそうにない。
直線的なのが唯一の面影か。
直線的なのが唯一の面影か。
そして現在の終点、小泉線西小泉駅が見えてきた。
歩道橋の上から駅構内が見えないかな・・・
歩道橋の上から駅構内が見えないかな・・・
歩道橋の階段途中からこんな感じで見えた(画像はズームアップしてます)。
小泉線の線路は右側の架線が張ってある方だが、仙石河岸線のホームは左に見えるほうだったという。
小泉線の線路は右側の架線が張ってある方だが、仙石河岸線のホームは左に見えるほうだったという。
(おわり)