【15年8月23日探索・11月8日公開】
現在地はここ
全面通行止看板の先で、昭和42年竣工の砂坂橋を渡る。
地理院地図ではこの橋を渡った場所から、県道色が復活するのだが・・・
地理院地図ではこの橋を渡った場所から、県道色が復活するのだが・・・
橋を渡り、振り返った。
「ここから車の通り抜けはできません」と書かれた看板には群馬県の名が記されていた。
地理院地図と現状は一致しているようだった。
地理院地図と現状は一致しているようだった。
県道指定が復活したと思われる道を進んでいく。
右に赤い欄干の橋が見えるが、その橋を渡ると先ほど通ってきた林道の名になっていた、曹洞宗・長源寺がある。
右に赤い欄干の橋が見えるが、その橋を渡ると先ほど通ってきた林道の名になっていた、曹洞宗・長源寺がある。
県道オーラのない道だが、何だかイイ風景だなあ。
分岐がある地点には看板が建っていた。
その先にも裏側の看板があるのだが、何と書いてあるのだろう?
その先にも裏側の看板があるのだが、何と書いてあるのだろう?
その看板まで行って、振り返った。
縦長の看板も同じ事が書かれていたのだが、その文言は「全面通行止」だった。
通行したのは日曜日だったが、この区間、工事されている箇所は見当たらなかったのだが・・・
縦長の看板も同じ事が書かれていたのだが、その文言は「全面通行止」だった。
通行したのは日曜日だったが、この区間、工事されている箇所は見当たらなかったのだが・・・
現在地はここ
道も県道らしい2車線になった。
そして、突き当たりになる場所なのだが、いやに広いスペースがあって、そこにバス停があった。
そして、突き当たりになる場所なのだが、いやに広いスペースがあって、そこにバス停があった。
柿平のバス停だ。
ボルテックスアークという会社の路線バスが安中駅から1日6回、ここまでやってくる(日・祝および年末年始運休)。
ボルテックスアークという会社の路線バスが安中駅から1日6回、ここまでやってくる(日・祝および年末年始運休)。
その先は2車線の快適な道路になったので、基本的には探索対象外だが・・・
現在地はここ
明らかに旧道とわかる道があった。
この先約100mで後閑川を渡る位置なので、旧橋のアプローチ道であろう。
この先約100mで後閑川を渡る位置なので、旧橋のアプローチ道であろう。
旧道が後閑川を渡る橋は撤去されていたのだが、その手前に小さな橋があった。小女沢橋(おなさわはし)、昭和36年架橋だ。
ちなみに、現道が後閑川を渡るための橋の名は「操橋」、これって何かのストーリー性がある事なのか?
その操橋は昭和48年2月架橋なので、旧道は小女沢橋の架橋年度から言えばわずか12年しか使われなかった事になる。
旧道が後閑川を渡る橋は木製だったとか、欠陥があったとか・・・何かワケあり??
ちなみに、現道が後閑川を渡るための橋の名は「操橋」、これって何かのストーリー性がある事なのか?
その操橋は昭和48年2月架橋なので、旧道は小女沢橋の架橋年度から言えばわずか12年しか使われなかった事になる。
旧道が後閑川を渡る橋は木製だったとか、欠陥があったとか・・・何かワケあり??
一応私は終点の場所まで走行したが、あとは至って普通な道だったので、このヘキサをもってレポ終了としよう。
(おわり)