【15年10月24日訪問・10月25日公開】
現在地はこの辺
今昔マップならこの一帯
東京都北区十条台 東京家政大学の中に、旧日本陸軍の遺構が現在でも利用されている事を思い出した。
昨日(このレポを公開した本日25日もそうだが)東京家政大学の学園祭(緑苑祭)が開催されているので、一般人も気兼ねなくキャンパス内に入る事ができた。
で、ここは板橋区とのほぼ区境の21号館(生活科学研究所)だ。
で、ここは板橋区とのほぼ区境の21号館(生活科学研究所)だ。
別の角度から撮影したものがこれだ。
この煉瓦構造物は、元陸軍東京第二造兵廠の火薬工場の建物で、明治30年代から昭和20年まで使用されていたという事だった。
この煉瓦構造物は、元陸軍東京第二造兵廠の火薬工場の建物で、明治30年代から昭和20年まで使用されていたという事だった。
続いては21号館のすぐ近くに建っている22号館(造形表現学科実習室)だ。
昨日は学園祭の最中で建物横のスペースでカフェが営業中だった。
昨日は学園祭の最中で建物横のスペースでカフェが営業中だった。
ところで、陸軍遺構なんて私的には通常の探索対象範囲ギリギリのところであり、ムリヤリ理由をつけて女子大に潜入したと思われるだろう。まあ、そんな下心がないと言ったらウソになるのだろうが、娘がこの大学に通っているのであくまで父として見に行ったまでで・・・はい(笑)。
22号館一部のアップだ。
この建物が過去には何であったのかなんて知らない学生も多いようだが、この建物脇には板橋区の文化財に登録になった(平成20年)際に設置された説明板もある。
この建物が過去には何であったのかなんて知らない学生も多いようだが、この建物脇には板橋区の文化財に登録になった(平成20年)際に設置された説明板もある。
美術研究会の展示物がある、その上の天井の梁も当時のものであろう。
学内にはもう1ヶ所、58号館(旧山吹寮)という煉瓦の建物があるようだが、昨日は一般人が入れないエリアだったようだ。
うろうろしていて代わりに見つけたのが、この古めかしい消火栓のようなものだった。
陸軍遺構との関係があるのかどうかは不明だ。
うろうろしていて代わりに見つけたのが、この古めかしい消火栓のようなものだった。
陸軍遺構との関係があるのかどうかは不明だ。
現在地はここ
キャンパスを出て、十条駅に向かう帰路に踏切脇ではこんなものを見つけた。
明治38年に出来た陸軍東京第二造兵廠の西側敷地境界の壁だったものらしい。
明治38年に出来た陸軍東京第二造兵廠の西側敷地境界の壁だったものらしい。