【15年8月15日探索・10月9日公開】
現在地はここ
良々子沢橋の手前で右を見た。
只見線が並行しているので当たり前なのだが、只見線良々子沢橋梁が見えた。
特筆するような特徴のない、ガーダー橋だったのだが・・・
只見線が並行しているので当たり前なのだが、只見線良々子沢橋梁が見えた。
特筆するような特徴のない、ガーダー橋だったのだが・・・
銘版だけが、特筆モノだった。
電源開発が昭和31年に架けた橋だという事が示されていた。
電源開発が昭和31年に架けた橋だという事が示されていた。
そんな橋の手前の場所だが、1枚目画像の20mほど只見方向に、「山ノ内氏勝」碑の入口があり、こんな階段があった。当然登ってみる。
特に踏切でもないようだが、線路を横断してさらに続きの階段があった。
私の目的はそちらではないので、線路の状態を見てみよう。
私の目的はそちらではないので、線路の状態を見てみよう。
もう、ずっと全線に渡ってこんな感じだ。
葛の無い場所は先ほどの橋梁上である。
葛の無い場所は先ほどの橋梁上である。
国道の良々子沢橋だが、意外な事にアーチ橋だった。
それなりの経年にも見えるが、昭和62年竣工のようだ。
それなりの経年にも見えるが、昭和62年竣工のようだ。
国道を、さしあたって会津越川駅をめざす。
横田地区と越川地区の境目あたりで左側の只見川を見ると・・・
横田地区と越川地区の境目あたりで左側の只見川を見ると・・・
橋の跡があった。
ここには西部橋という橋が架かっていたが、2011年の豪雨でこの橋もまた流出してしまっていた。
代わりの橋としては、この上流約300mあたりに新しい頑丈そうな橋が架かっている。
ここには西部橋という橋が架かっていたが、2011年の豪雨でこの橋もまた流出してしまっていた。
代わりの橋としては、この上流約300mあたりに新しい頑丈そうな橋が架かっている。
只見線だが、この付近ではスノーシェッドで通過なのだろう。
完全に周囲に同化してしまっているが・・・
完全に周囲に同化してしまっているが・・・
越川の集落だ。
家屋の数はあまり多くなく、ざっと見て30軒ほどだろうか。
家屋の数はあまり多くなく、ざっと見て30軒ほどだろうか。
矢印付近が駅入口のはずだ。
現在地はここ
一応、こが集落の中心と言えようか。
JR会津越川駅前という町営バスのバス停が代行バスのバス停でもある。
JR会津越川駅前という町営バスのバス停が代行バスのバス停でもある。
屋根付きの自転車置き場らしい施設と、案内板があった。
この案内板には、JR只見線と会津越川駅の沿革と現状についてが書かれていた。
他の駅にはこういう案内などはなかった(私が見つけていないだけかもしれないが)。
この案内板には、JR只見線と会津越川駅の沿革と現状についてが書かれていた。
他の駅にはこういう案内などはなかった(私が見つけていないだけかもしれないが)。
ここには昭和38年の会津川口~只見間開通時には駅がなく、その後陳情を重ね昭和40年に駅が設置された請願駅だという事も、駅に対する思いの深さがあるのかもしれない。
駅横の、第2越川踏切の警報板はひしゃげていた。
雪の重み??
雪の重み??
待合室は塞がれ、線路は錆び、雑草だらけで痛々しい。
この付近、休止線を利用して、トロッコでも走らせたらというような事もふとひらめく。
この付近、休止線を利用して、トロッコでも走らせたらというような事もふとひらめく。
(その12へつづく)