【15年5月6日探索・8月25日公開】
児玉往還の旧道は、県道344号線が東武東上線の踏切を越えてすぐのところで右へ逸れる。
本日の記事の場所を今昔マップで見るとこのあたり
100m足らずで分岐があり、その分岐地点に石碑が建っていた。
これは道標を兼ねた石橋供養塔だった。
そしてなんと、文政2年(1819)建立だった。
そしてなんと、文政2年(1819)建立だった。
街道はまっすぐなのだが、一旦右に行ってみる。
しばらく行くと東上線都幾川橋梁だ。
この上り線が開業時の橋脚そのもので、開業は大正12年(1923)であるから、
既に90年以上が経過している事になる。
この上り線が開業時の橋脚そのもので、開業は大正12年(1923)であるから、
既に90年以上が経過している事になる。
以上、寄り道終了!
現在地はこの辺
さて、本来の児玉往還に戻ろう。
進んでいくと、左の水路に変な橋が架かっていた。
めくらなかったが、この波板の下に、橋本来の構造があるんだよな、きっと・・・
次の変な橋・・・手前の土管ではなく、奥のやつ・・・
なんと、この橋の作者の名が橋本体に刻まれていた。
「松崎昭三作」と読めたが・・・
「松崎昭三作」と読めたが・・・
右の境界柱は東松山市のものだ。
左の路肩注意のポールが建っている事は、旧街道であるという、この道の風格なのか?
左の路肩注意のポールが建っている事は、旧街道であるという、この道の風格なのか?
しかしこの道沿いには特徴的な橋が多いな。
今度は土橋だ。
今度は土橋だ。
その先には一見怪しげな橋が架かっていた。
しかしこの橋、鋼製の梁があり、見た目よりはしっかりしていそうだった。
しかしこの橋、鋼製の梁があり、見た目よりはしっかりしていそうだった。
(その4へつづく)