【15年3月22日探索・5月12日公開】
現在地はここ
橋が架かっていて、左に旧道らしい分岐が見えた。
ここは地図にも描かれていたので、予定通りの進入になる。
しかも、立入禁止とはどこにも書かれていないところが気分的に嬉しかった。
ここは地図にも描かれていたので、予定通りの進入になる。
しかも、立入禁止とはどこにも書かれていないところが気分的に嬉しかった。
というワケで旧道に入る。
前方に見えるのはモノラック車両だ。
右にはけっこう朽ちてきている橋が見えた。
先ほどまでの新旧道の関係からすると、まだそんなに旧道になってから経っていない
はずだが・・・
右にはけっこう朽ちてきている橋が見えた。
先ほどまでの新旧道の関係からすると、まだそんなに旧道になってから経っていない
はずだが・・・
谷側から橋を覗き込んでみた。
鉄パイプで補強してあるようで、けっこうくたびれた感が強い橋だ。
この時点で名前は不明だが、こういう場合の多数から推測すれば、現橋と同名か「新」
が無いのがこの橋の名前だろう。
鉄パイプで補強してあるようで、けっこうくたびれた感が強い橋だ。
この時点で名前は不明だが、こういう場合の多数から推測すれば、現橋と同名か「新」
が無いのがこの橋の名前だろう。
同じ場所で振り返ってみた。
左端に写っているのは2枚上の画像にも写っているモノラックだ。
左端に写っているのは2枚上の画像にも写っているモノラックだ。
この、四角く囲ったあたりが何か怪しげだ。
なので近づいてみた。
・・・これは、何だったのだろうか?普通に言えば橋なのだが、この広さの鋼製の橋
がなぜ必要だったのだろうか??
がなぜ必要だったのだろうか??
今になって思えばこの場所、もうちょっと深入りしても良かったような気がした。
しかし、割りとあっさり、そのまま旧道を進行していた。
しかし、割りとあっさり、そのまま旧道を進行していた。
まあこれだけでも充分な廃道の光景になるとは思うが。
もともと100m程度の廃道なので、反対側に着くのにはそれほどの時間は要さない。
現道に復帰してから振り返っての撮影だ。
さて、気になっていたこの橋の名前とか竣功時期は・・・
正直、ノーマークだった。
なので、この橋の名を見たとき、少なからずの衝撃だった。
なので、この橋の名を見たとき、少なからずの衝撃だった。
それは、探索計画ルート選定を地図を見て決めた事へのオブの勘に対する儲かった感と、
未成ダム絡みなのに机上調査が甘かった自分への悔しさと、そんな複雑な思いからくる
衝撃だった。
先ほどの旧橋が現橋と同名であろうはずがない事もまた、そんな思いに追い討ちがかか
った。
未成ダム絡みなのに机上調査が甘かった自分への悔しさと、そんな複雑な思いからくる
衝撃だった。
先ほどの旧橋が現橋と同名であろうはずがない事もまた、そんな思いに追い討ちがかか
った。
帰宅後に布沢川ダムについて少し調べてみた。
事業は1993年より実施され、本来の計画なら、もう少し上流に堤高59.5m、堤
頂長155mの重力式コンクリートダムが2016年には完成していたはずだった。
目的は洪水調節、河川維持用水、上水道確保のためだったが、計画変更により2012
年11月に中止が決定した。
が、実際はそれ以前から工事はストップしていた。
参考資料として静岡県HP内にこの画像があった。
(注:ここまでこの道路を奥山林道と呼んできましたが、この画像には市道6549号線と書かれています。県のHPの資料なので市道と呼ぶ事にします)
事業は1993年より実施され、本来の計画なら、もう少し上流に堤高59.5m、堤
頂長155mの重力式コンクリートダムが2016年には完成していたはずだった。
目的は洪水調節、河川維持用水、上水道確保のためだったが、計画変更により2012
年11月に中止が決定した。
が、実際はそれ以前から工事はストップしていた。
参考資料として静岡県HP内にこの画像があった。
(注:ここまでこの道路を奥山林道と呼んできましたが、この画像には市道6549号線と書かれています。県のHPの資料なので市道と呼ぶ事にします)
以上が概略だが、この1号橋は平成15年(2003)3月竣功である。
となれば、その約200m先にある橋の名は簡単に想像がつく。
(その4へつづく)