【15年4月26日探索・5月3日公開】
同じ場所でもう少しだけ視線を左にずらす。
そこで発見したものは、左隅の穴だ。
そこで発見したものは、左隅の穴だ。
!!もしや、この形状は・・・
ちなみに、東上本線(該当区間)は大正12年開業、この貨物線は大正15年開業だったので、同じ形式のカルバートがあっても至って自然だろう。
根古屋線の、思いもよらない忘れ形見発見!
根古屋線の、思いもよらない忘れ形見発見!
近づいてみた。
坑口両側の雰囲気もなかなかイイ。
が・・・先が暗いな。
坑口両側の雰囲気もなかなかイイ。
が・・・先が暗いな。
人工的な閉塞であるようだった。
探索時には、かつての道路がここを通過していていたのだろうと思っていたが、机上調査では少なくとも昭和15年の航空写真を見る限り道路はカルバートではなく踏切(橋にも見えるが)での横断であるように見える。
それ以前には利用されていた可能性はあるが、ここは水路と歩道であったと考えるのが順当だろう。
コンクリの風合いが壁面と正面では違うように思えた。
この事から、竣功当初は反対側に抜けられたものと思われた。
この地に西中学校が移転してきたのは昭和39年、根古屋線廃止は昭和42年で、廃止後に現在のグラウンドが出来たのだろう。そしてその少し前の時期に反対側坑口付近が埋められたものだろうと思う。