【15年1月3日探索・3月4日公開】
現在地はこの辺
封鎖隧道によってゆく手を阻まれた私は、山越えはせずにおとなしく現道から市境を越える。
君津市に入り間もなくあったのは1kmを示すキロポストだった。
現在地はここ
反対側坑口前までやってきた。
こちら側ももちろん完全封鎖されていた。
こちら側ももちろん完全封鎖されていた。
こちら側の扁額はよく見える状態だった。
「鴨川有料道路 第一隧道 昭和41年12月竣功」である。
「鴨川有料道路 第一隧道 昭和41年12月竣功」である。
では、改めて封鎖隧道前から続きの北側の廃道区間を行こう。
現道経由でここに居るという事は、実はもうここまでの廃道区間は通っており、画像を撮影しながらこうして巡っているのは私にとっては「復路」になる。
何か看板のようなものがあるようだ。
鴨川市のカントリーサインだった。
実際の市境は封鎖された第一隧道内になるようだが、明かり区間に設置されていたのだった。
実際の市境は封鎖された第一隧道内になるようだが、明かり区間に設置されていたのだった。
そういえば、だが、反対側と雰囲気が違いすぎる。
こちら北側は舗装されていたはずの路面が剥がされ、明らかに人工廃道化されていた。
こちら北側は舗装されていたはずの路面が剥がされ、明らかに人工廃道化されていた。
また道路の看板を期待したのだが、国有林を示すものだった。
いやに広い平場な気がするが昭和50年の航空写真を見る限り特にパーキングなどが設置されていたような事はなかったようだ。
他にも、道路だった証のようなものが、何か無いかなあ・・・
(その5・最終回につづく)