【15年2月1日探索・2月28日公開】
現在地はここ
これまでの2本の橋とまったく同様な造りである。
違うのは、2本の橋はいずれも延長23mだったが、この八米橋は69mであるということだった。
3本の橋(西沢橋・不動橋・八米橋)は1スパン23mのポニートラスを持つ、兄弟橋なのは間違いなかろう。
違うのは、2本の橋はいずれも延長23mだったが、この八米橋は69mであるということだった。
3本の橋(西沢橋・不動橋・八米橋)は1スパン23mのポニートラスを持つ、兄弟橋なのは間違いなかろう。
困ったのは、この橋もまた情報が無い事だった。もちろん下にも潜ってみたが情報は得られなかった。
「上野原町史」からわかった事も、昭和46年4月時点で既に架橋されていた事と、もう1ヶ所、後山地区の「月見橋」という橋が同スペックであった可能性が高い事だった。
しかし、該当エリアは開発著しく、当時の幅員4m橋が残っているとは考えにくい。
しかし、該当エリアは開発著しく、当時の幅員4m橋が残っているとは考えにくい。
3径間もあると、支承結合部がこんなピン式だった事に気づかされる。
再び、橋全景である。
手前に刻印があるようだが・・・
「丸エス」マークがあって、B.S 8×2 1/2 YAWATA SEITETSUSHO ヤワタ と言うのが刻印だ。
丸エスマーク入りのものは新しくても昭和25年である。恐らくは流用橋であったならその以前の橋は昭和10年(1935)頃の架橋であろうと思う。
丸エスマーク入りのものは新しくても昭和25年である。恐らくは流用橋であったならその以前の橋は昭和10年(1935)頃の架橋であろうと思う。
で・・・以前よりこの界隈のポニートラス橋は流用橋でろうという見解を述べてはいるが、どこから持ってきたものかが不明だった。
(おわり)