【14年12月14日探索・15年1月8日公開】
現在地はここ
今昔地図ではここ(地図中心・「索」の字と「巣」の字の中間の場所)
トラップに嵌ってしまった私は、その時点でちゃんと地図を確認しなかった事を反省し、改めて大正県道の探索の後半へと突入する覚悟を決めた。雪は相変わらずたまにちらついているが、大幅に積もるような事はなかろう。
わかりにくいがここがそのようだ。
何か杭のようなものが建っている。
何か杭のようなものが建っている。
かつてはこれが道標だったようだ。
おそらく「ヤセオネ峠」と書かれた矢印型の横板があったものと思われる。
おそらく「ヤセオネ峠」と書かれた矢印型の横板があったものと思われる。
現在、何とか判読できたのは「伊香保町」「伊香保ライオンズクラブ」という道標の設置者だけであった。
しかし、ここが道だという確かな証拠が残っていたのはうれしかった。
道標がなかったらここが道だと断定する自信が無かった。それほど、痕跡らしきものは特に無い。
それでもなんとなく、木の密度が他よりも疎である事と、荷車対応の勾配である事から、ここが道であったのだろうとは思う。
入口に道標(跡)があったとい事は、かつてはこの道もハイキングコースだったのだろう。
入口に道標(跡)があったとい事は、かつてはこの道もハイキングコースだったのだろう。
そして枕木の列が見えてきた。
現在地はここ
今昔マップではここ
ここがかつてケーブルカーの踏切だった場所になる。
私はこの場所には2010年4月にケーブルカー廃線探索として訪れていたのだが、その時点ではここが踏切だったなんて思いもよらなかった(リンク先記事の最終画像がこの場所)。
かつての踏切はどんな形状をしていたのだろうか?
警報機や遮断機が設置されていたのだろうか?
警報機や遮断機が設置されていたのだろうか?
踏切内から上を見る。
下側だ。
150mほど廃線跡を下ると車道に出られる。
150mほど廃線跡を下ると車道に出られる。
踏切を渡った先で、振り返って撮影した。
その先はまた痕跡がボケる。
境界柱?が建っている場所があった。
戦前のものではまずないだろう。
ケーブルカーが現役だったころから設置されていたものなのか、廃線後のものなのか、不明だった。
ケーブルカーが現役だったころから設置されていたものなのか、廃線後のものなのか、不明だった。
道路関連のものなのか、温泉関連の何かが埋まっているのか、はたまた地中ケーブル設置の目印?
このマークだが、渋川市(旧市章含む)のものでも旧・伊香保町のものでもなかった。
どなたかご存知の方が居られたらご教示いただきたい。
どなたかご存知の方が居られたらご教示いただきたい。
(その5・最終回につづく)