【14年12月14日探索・15年1月6日公開】
大正県道には、階段状のステップが取り付けられていた。
しかしながら、その勾配は荷車や馬が登れないほどのものではなく、おそらく後年になってハイキングコースとして整備された際の施工だろう。
しかしながら、その勾配は荷車や馬が登れないほどのものではなく、おそらく後年になってハイキングコースとして整備された際の施工だろう。
それは地図上での道の線形が、歩行者のみのものとは思いにくく、明らかに勾配を緩和すべくカーブを多用している事からも強く推定できる事であった。
この急勾配ポイントの先は、比較的緩やかになった。
何か、無いかなあとキョロキョロしながら歩いていると、何かの目印があった。
この杭、渋川市の文字は見て取れたのだが、道路の管理境界を示すものであるかどうかは不明だった。
その先、こんな感じだ。
ここは近代的な施工物が無いので、大正時代(道路ができたのはもっと前?)の雰囲気を色濃く残しているはずだ。
ここは近代的な施工物が無いので、大正時代(道路ができたのはもっと前?)の雰囲気を色濃く残しているはずだ。
しばらくすると、近代的な治山施工になった。
このあたりは平成19年度の県による治山事業の施工らしい。
その先では部分舗装があった。
ここ、先ほどの「階段」部分以外では一番急かも・・・
ここ、先ほどの「階段」部分以外では一番急かも・・・
「この先落石注意」という看板が建っていた。
平成16年度治山事業の施工擁壁を過ぎると・・・
前方、今までよりはちょっと古そうな・・・
谷積みの石垣である。
ここの擁壁部分20mくらいがそうなのだが、その施工年月は不明だ。
年季が入っている事はまちがいなさそう。
ここの擁壁部分20mくらいがそうなのだが、その施工年月は不明だ。
年季が入っている事はまちがいなさそう。
(その3へつづく)