【14年11月23日探索・12月27日公開】
昨日の記事で、この後(昨日の記事・桜峠)に向かった場所の記事は後日公開すると言った。
しかし、続けて公開する事にした。
これはタイトルにあるように、今回は第1次探索、しかも時間切れもあってまったく満足な成果が得られていないので、そのリベンジをそう遠くないうちに成し遂げようという意思と受け取って頂きたく思う。
しかし、続けて公開する事にした。
これはタイトルにあるように、今回は第1次探索、しかも時間切れもあってまったく満足な成果が得られていないので、そのリベンジをそう遠くないうちに成し遂げようという意思と受け取って頂きたく思う。
以前から気になっていたのが、この画像(日本鉄道旅行地図帳・東海/新潮社 より引用)の「富士軌道」とその先の、この本によれば「富士宮林用馬車軌道」と名前が付いている軌道跡だった。
富士軌道は明治42年(1909)に大宮(富士宮)~上井出が開業、その後の大正元年(1912)に人穴地区まで貨物線が延伸した。
その後、道路が発達し路線バスが充実してくるとジリ貧になり、昭和14年(1939)に廃止されたという事らしい。
富士軌道は明治42年(1909)に大宮(富士宮)~上井出が開業、その後の大正元年(1912)に人穴地区まで貨物線が延伸した。
その後、道路が発達し路線バスが充実してくるとジリ貧になり、昭和14年(1939)に廃止されたという事らしい。
戦前の廃止なので何も痕跡は無いのか?
否。
否。
富士宮の市街地はともかく、少なくとも上井出地区には大きな痕跡が残存しているのだ(後述する)。
この画像は昭和5年発行の5万分の1地形図「駿河大宮」から抜粋した。
こんな風にヘロヘロと富士の裾野を登っていたのだが・・・
こんな風にヘロヘロと富士の裾野を登っていたのだが・・・
なお、矢印については後に説明する。
現在地はここ
静岡県富士宮市上井出 上井出歴史公園の入口だ。
この公園脇に、お宝があるという情報だが・・・
この公園脇に、お宝があるという情報だが・・・
明らかに怪しげな盛り上がりがある!
しかも、この盛り上がり部分こそ、こんな感じで石垣が残っている。
そう、富士軌道の築堤という事で間違いなかった。
そう、富士軌道の築堤という事で間違いなかった。
現在地はここ
たまたまやって来たのだが、これこそがまさしく反対側築堤の終了地点である。
ちなみに、先ほどの古地形図に付けた矢印はここを指しているようだ。
ちなみに、先ほどの古地形図に付けた矢印はここを指しているようだ。
少し引いて撮影してみた。
ここに架かっていた橋がどんなものだったのかはわからないが、おそらく木製だったのだろう。
ここに架かっていた橋がどんなものだったのかはわからないが、おそらく木製だったのだろう。
築堤の上にも登ったが、周りの住宅からは丸見えで、不審者として通報される危険があった。
こんな素敵な遺構を見せられちゃ、この先の区間にも期待がもてるかも・・・
こんな素敵な遺構を見せられちゃ、この先の区間にも期待がもてるかも・・・
そんな誘惑に駆られ、先の区間にも行ってみようと思う。
県道71号と75号の重複区間を進む。
県道71号と75号の重複区間を進む。
現在地はここ
県道を逸れ、林鉄跡と思われるポイントに来ても、林鉄の痕跡はなかった。
すぐ近くの橋を渡ったあたりにも、かつて線路があったはずだった。
が、ここも痕跡なし。
国道139号バイパスをくぐった先だ。
ここもまた、痕跡は皆無だった。
ここもまた、痕跡は皆無だった。
(後編に続く)