【14年9月20日探索・12月2日公開】
現在地はこの辺
吊り橋の先の道はどんどん高度を上げていく。
左の擁壁の空積みの石垣がイイ。この場所の道路は地形図(昭和27年応急修正版5万分の1・丹波)から読む限り既に車道対応となっていた可能性が高い。
もっとも擁壁はそれ以前、歩行者のみの道だった頃から整備されていた可能性もあるが
左の擁壁の空積みの石垣がイイ。この場所の道路は地形図(昭和27年応急修正版5万分の1・丹波)から読む限り既に車道対応となっていた可能性が高い。
もっとも擁壁はそれ以前、歩行者のみの道だった頃から整備されていた可能性もあるが
ちなみに、mapion地図にはバスがここまで入ってくるように描かれているが、300m手前の峰谷が終点である。
木の実がたくさん落ちていた。トチノミだろうか。
自転車だから帰りには特に気をつけなければ。
自転車だから帰りには特に気をつけなければ。
橋が見えてきた。
谷あいではあるが少し開けて、平地に近くなった。
集落がありそうだ。
谷あいではあるが少し開けて、平地に近くなった。
集落がありそうだ。
ところで、電線の上に何かいるぞ!
サルだった。
サルは私の存在に気づくと少し慌てた様子で森の中に逃げていった。
サルは私の存在に気づくと少し慌てた様子で森の中に逃げていった。
現在地はここ
橋の名は三澤橋、昭和29年3月成と親柱に刻まれていた。
しかし、私が持っている昭和27年応急修正の地形図だと、この三澤橋までが「町村道・達路(幅員3m以上)」として表記されている。
この橋には旧橋があったのか、あるいは竣功前でも地図には描かれていたのかのどちらかであるが、私は後者だと思う。その理由としては、この地形図、昭和27年版なのに昭和32年竣功の奥多摩湖が描かれており、少し未来の予定は描かれているものなのではないかと思うのだ。
しかし、私が持っている昭和27年応急修正の地形図だと、この三澤橋までが「町村道・達路(幅員3m以上)」として表記されている。
この橋には旧橋があったのか、あるいは竣功前でも地図には描かれていたのかのどちらかであるが、私は後者だと思う。その理由としては、この地形図、昭和27年版なのに昭和32年竣功の奥多摩湖が描かれており、少し未来の予定は描かれているものなのではないかと思うのだ。
橋の先、三沢集落になった。
ただ、勾配は再びきつくなってきた。
ただ、勾配は再びきつくなってきた。
奥集落への道は登っているが、分岐してものすごい勢いで下る道があった。
その道は民家へのアプローチだった。
ん!!
軽トラ専用の車庫があった。
つか、こんなのどうやって出し入れするんだ?どうやって出入りするんだ??
つか、こんなのどうやって出し入れするんだ?どうやって出入りするんだ??
下に下っていくモノラックがあった。
山仕事用か、この付近で見かけたわさび田用あたりだろうか?
山仕事用か、この付近で見かけたわさび田用あたりだろうか?
どんどん標高を稼ぐ。
1日3本しかない路線バスの終点から1km強、交通の便の悪さのためか、利用されていない建物もいくつかあった。
1日3本しかない路線バスの終点から1km強、交通の便の悪さのためか、利用されていない建物もいくつかあった。
(その4へつづく)