【14年6月29日探索・8月26日公開】
現在地はこの辺
レールこそ完全に撤去されたようだが、林鉄の雰囲気はまだ充分に残っている。
特にこんな地形であればなおのことである。
路肩部分は石垣で施工されており、80年以上経っても強度は充分保たれているように見える。
路肩部分は石垣で施工されており、80年以上経っても強度は充分保たれているように見える。
いくら林鉄跡だからって、軽トラだって絶対に入れない区間だ。
それでもなぜか、車道用のガードレールが設置されている場所があった。
それでもなぜか、車道用のガードレールが設置されている場所があった。
小さな切通し区間だ。
何やら横方向に延びているのは、排水路であるっぽい。
この上部には畑か炭焼き窯でもあったのだろうか。
何やら横方向に延びているのは、排水路であるっぽい。
この上部には畑か炭焼き窯でもあったのだろうか。
左側の路肩、3分の1くらいが欠損していた。
そして、そのちょっと先が・・・
そして、そのちょっと先が・・・
現在地はたぶんこの辺
カントリーサインは設置されていないが、おそらくは山梨市と甲州市の市境の小さな谷であろう。
で、この先の様子が・・・
で、この先の様子が・・・
ここに絶対に架かっていたはずの、橋がなくなっていた。
画像がまだらでわかりにくいかと思うが、写っているのは対岸の橋台である。
画像がまだらでわかりにくいかと思うが、写っているのは対岸の橋台である。
しばし、ひとり作戦会議・・・
ヘリオス号はここで待機させ、私が単独でこの先に行く事にした。
この谷に下りる。
谷の上流側から橋が架かっていたところを見た。
北側の橋台はほぼ原型のままだが、南側が何だかわからないほど崩れていたのだった。
橋自体はここもおそらく木橋だったと思うが、その残骸らしきものは発見できなかった。
北側の橋台はほぼ原型のままだが、南側が何だかわからないほど崩れていたのだった。
橋自体はここもおそらく木橋だったと思うが、その残骸らしきものは発見できなかった。
単独なのでこの程度の谷の迂回だと2分しかかからなかった。
北側から見ると、まだ辛うじて橋台だったことがわかった。
北側から見ると、まだ辛うじて橋台だったことがわかった。
もう少し引いた画像がこれになる。
現役時代の雄姿が見たかったなあ、と思わせる遺構だ。
さあ、先に進むぞ。回れ、右!
(その6へつづく)