【14年8月9日探索・8月19日公開】
現在地はここ
遠望した印象では、入り口はそれほどの違和感がなかったが、やっぱりかなり狭そうだ。
この地下道、正式名は玉川上水緑道環七横断地下道という。
では、激狭地下道へと参ろうか。
階段&スロープ部分もお世辞にも広いなどとは言えない空間なのだが、その先はさらに狭そうだ。
ヘリオス号を連れてくればよかったな・・・
幅はちょうど私が両手を広げたくらい、1.5mといったところか。
また、高さのほうも尋常ではない低さである。地上からパイプまで1.75mくらいか。
幅はちょうど私が両手を広げたくらい、1.5mといったところか。
また、高さのほうも尋常ではない低さである。地上からパイプまで1.75mくらいか。
大雨時には水没して通行できなくなる旨を知らせる張り紙もあった。
おまけに、何だか歪んでいるような気が・・・
ここはおそらく環七が本格的に整備された、昭和39年ごろに造られたのではないかと思われる。
何本かパイプがあったが、水管や電話、ガスなどの生活インフラのものであろう。さらには玉川上水もこの空間の外側に無理やり押し込められているはずで、相当無理をして造ったのが素人目にもよくわかる。
何本かパイプがあったが、水管や電話、ガスなどの生活インフラのものであろう。さらには玉川上水もこの空間の外側に無理やり押し込められているはずで、相当無理をして造ったのが素人目にもよくわかる。
反対側出口手前には何やらアーチの一部のようなものがあった。
反対側に出る。
私は人のいない瞬間を狙って撮影したのだが、こんな怪しい空間なのにけっこう利用者が多いのだ。
私は人のいない瞬間を狙って撮影したのだが、こんな怪しい空間なのにけっこう利用者が多いのだ。
出てから振り返った。
アーチは玉川上水に関するものだろうが、本当に何だろう?
この向こう側に橋の跡がある(後述する)が、そのアーチ部分でもないようだし・・・
アーチは玉川上水に関するものだろうが、本当に何だろう?
この向こう側に橋の跡がある(後述する)が、そのアーチ部分でもないようだし・・・
玉川上水緑道はこの先約200m、渋谷区との区境付近まで続いている。
そして、地下道の上には橋の跡が残されていた。
玉川上水が暗渠化される前にはここが橋として機能していたのだろう。
橋の名は大原橋、昭和27年3月竣功だった。
玉川上水が暗渠化される前にはここが橋として機能していたのだろう。
橋の名は大原橋、昭和27年3月竣功だった。
(おわり)