【14年5月4日探索・7月28日公開】
現在地はここ
上から見たら前方後円墳のような線形の道の、桟橋までやってきた。
「後円」部分の右カーブを回った先にはこんな光景があった。
奥秩父の山奥にこんなすごい道路があって、なおかつここには自動車はおろか、歩行者さえも普通には到達する事ができない、そんな光景が私の目の前に展開されている・・・
オブローダー冥利に尽きるなあ・・・
奥秩父の山奥にこんなすごい道路があって、なおかつここには自動車はおろか、歩行者さえも普通には到達する事ができない、そんな光景が私の目の前に展開されている・・・
オブローダー冥利に尽きるなあ・・・
約100m進んで振り返った。
私が今歩いてきた「前方後円墳道」だが、下段の直線も上段同様に桟橋構造をしていたのだった。
私が今歩いてきた「前方後円墳道」だが、下段の直線も上段同様に桟橋構造をしていたのだった。
なぜ桟橋が採用されたかは、この画像をご覧いただければお判りかと思うが、崩落を繰り返す不安定な斜面であったからに違いなかった。
なおこの桟橋だが、名称不明、竣功などの銘版もなかったが、桁の塗装記録だけがあって、それによれば2000年12月だった。その時期に竣功になったと見て間違いなかろう。
長い下りなので、何箇所か非常停止帯がある。
それにしても、ここ、廃道でもなければ、一般には供用されていないものの未成道でもない、新しいジャンルになるような気がするが、何と呼ぼう・・・
ほとんど誰も通過しないその路面は、完成後14年足らずなのに、明らかに異変が発生していた。
今年の大雪の被害なのか、それ以前の災害がもたらしたものか不明だが、擁壁が崩れ、路面の大部分を塞いでいた。
これで、2月中旬以降探索日(5月4日)までに、少なくともここを自動車が通過していない事が確定した。
これで、2月中旬以降探索日(5月4日)までに、少なくともここを自動車が通過していない事が確定した。
前方に、また地図に無いトンネルがある!
ん??
現在地はここ
右を見た。
ダンプカーが切り返しでもするようなスペースがあった。
ダンプカーが切り返しでもするようなスペースがあった。
この資料によれば、平成13年(2001)5月から使用された原石搬出トンネルの搬出側坑口がここのようだ。
左を見た。
そんなトンネルの坑口がこれだ。
中は当然気になるが、隙間から見ても何も見えなかった。
中は当然気になるが、隙間から見ても何も見えなかった。
おそらくはコンベアが上部にあって、ホッパーがその下にあり、運ばれてきた原石を坑口すぐそばでダンプカーに積込みしていたのであろう。それで切り返しのようなスペースが必要だったのではないかと想像する。
当然、扉には施錠されていたのだが、その鍵には「滝沢ダム 原石山 原石搬出トンネル」と明記されていた。
(その6・最終回につづく)