【14年6月15日探索・7月20日公開】
連載が長引いて、皆さん飽きてきていると思うのでピッチを上げ、今回を入れてあと2回で終了したい。
現在地はここ
なので、今回は場所が途中で飛ぶがご了承いただきたい。
現在渡っているのは国道291号新宇賀地橋だ。2006年9月に竣功している震災復興橋だ。
で、下に写っているのは旧橋のアプローチと橋台だ。
で、下に写っているのは旧橋のアプローチと橋台だ。
旧・宇賀地橋は崩落したわけではなかったが、この下流の地すべりの影響で河道が閉塞、水位上昇により水没したそうだ。
現在地はこの辺
いったん国道291号線から離れ県道23号に入り、300mほど進んだ。
木篭(こごも)橋、2006年11月竣功の橋より見た光景なのだが、ここも先ほどと同じ地すべりの被害の跡がそのまま残されていたのだった。
木篭(こごも)橋、2006年11月竣功の橋より見た光景なのだが、ここも先ほどと同じ地すべりの被害の跡がそのまま残されていたのだった。
木篭地区13戸と県道約600mが地すべりでの河道閉塞・水位上昇により水没し、当時の状態で保存されたようだ。
ほぼ同じ場所で振り返る。(ほぼ7時の方角を見た)
水没した集落全体で、高台に引っ越したようだ。
ちなみに、手前にあるのは郷見庵という公民館兼資料館兼売店兼食堂だ。
ちなみに、手前にあるのは郷見庵という公民館兼資料館兼売店兼食堂だ。
現在地はここ
いよいよレポの最終目的地、中山隧道を目指すのだが、国道経由ではなくひとつ南側の道から行く。
なぜかって・・・
なぜかって・・・
現在地はこの辺
あった、たぶんこれだ。
ここにあるのは・・・
雪中隧道だ。
冬の雪深い中を通学する小学生のために地元有志が掘ったそうだ(後に県の事業になったそうだが)。
昭和52年(1977)に完成している(隧道データベースより)。
冬の雪深い中を通学する小学生のために地元有志が掘ったそうだ(後に県の事業になったそうだが)。
昭和52年(1977)に完成している(隧道データベースより)。
ちなみに、足もとに落ちている看板だが「なだれ危険に付き通行禁止 長岡土木事務所」と書いてあって、これがどこに設置されていたものかは不明だった。
蛍光灯が設置されていたようだが、現在は廃隧道になっている。
蛍光灯があった頃はもう少し明るかったのだろうが、全長623mもあった(隧道データベース)ようなので、小学生が一人で通過するのは怖かったのではなかろうか?
それでも豪雪地帯なので、5mを越す雪の中を歩く距離を少しでも減らそうという親心だったのだろう。
それでも豪雪地帯なので、5mを越す雪の中を歩く距離を少しでも減らそうという親心だったのだろう。
そんな雪中隧道だが、150mくらい進んだ場所で水没を確認した。
この日は水没隧道対策グッズは持参していなかったので、ここで撤収!
この日は水没隧道対策グッズは持参していなかったので、ここで撤収!
車道に沿って雪中隧道は掘り進められたようで、途中にも坑口(横穴)がある。
が、覗くとそこは蝙蝠が多数飛び交うデンジャラスゾーンだった。
その先にもう1箇所、同様の横穴があったが、こちらも蝙蝠がびゅんびゅん飛んでいた。
(その12・最終回につづく)