【14年6月15日探索・7月21日公開】
現在地はここ
国道291号中山トンネルのすぐ隣に旧隧道がある。
ここは数年前の家族旅行で1度訪れた事があったのだが、その時には両側坑口付近しか歩いていなかった。
貫通している隧道に対して失礼な事をしていたので、今日はここを通過し、レポの最終地点としよう。
ここは数年前の家族旅行で1度訪れた事があったのだが、その時には両側坑口付近しか歩いていなかった。
貫通している隧道に対して失礼な事をしていたので、今日はここを通過し、レポの最終地点としよう。
多少観光地化されている気はするが、旧隧道が大切に保存されているという事でよしとしよう。
山古志側の坑口付近には土木学会選奨土木遺産(ちなみにBランク)のプレートをはじめ、中山隧道祭りのポスター、隧道の沿革など、いろいろなものが貼ってある。
簡単に説明すると昭和8年着工、戦争で中断の後、昭和24年貫通の住民による手掘り隧道なのだ。
延長922m(土木学会資料)をツルハシで掘ったというから、頭が下がる。
延長922m(土木学会資料)をツルハシで掘ったというから、頭が下がる。
では参ろうか。ちなみに、ヘリオス号はずっと押しだ。
一応、観光地になってはいるが、素掘り隧道内は相当暗い。
時折明りがあるが懐中電灯無しでの通過ははっきり行って怖い。
時折明りがあるが懐中電灯無しでの通過ははっきり行って怖い。
あれ?ここは横穴か?
退避坑だったのか、物置だったのか、あるいは防空壕だったのかは不明だが3mほどの横穴があり、そこには工事で使ったのであろうトロッコ(復元?)が展示されていた。
真っ暗な画像ばかりでつまらないと思い、ストロボを焚いてみた。
ここ、ちょうど強度不足だったのだろうか?支保工のような補強がされていた。
明るいとかえって怖いかも・・・
ここ、ちょうど強度不足だったのだろうか?支保工のような補強がされていた。
明るいとかえって怖いかも・・・
手掘りの跡、かな?
ここで大量出水があったようだ。
昭和24年5月1日夕刻、ここで隧道は貫通した。
ようやく広神側の光が見えてきた。
ここから数十メートルがコンクリ巻立てとなっているが、昭和50年代に落盤があり、補修されたものだそうだ。
ここから数十メートルがコンクリ巻立てとなっているが、昭和50年代に落盤があり、補修されたものだそうだ。
坑口近くになって路面がかなり濡れてきた。
広神側坑口になる。
私はヘリオス同伴であった事もあったが、通過に16分も要していた。
私はヘリオス同伴であった事もあったが、通過に16分も要していた。
こちら側は自動車の通行はほとんど考慮されていない。
すごいヘアピンを通り・・・
すごいヘアピンを通り・・・
広神側の中山トンネル坑口前に出た。
現道のトンネルは1998年12月に完成している。
それまで旧隧道が国道291号線だったという記述がウェブ上にはいくつかあるのだが、本当にそうだったのかなあ? 私の手元の資料にはわからなかった。
それまで旧隧道が国道291号線だったという記述がウェブ上にはいくつかあるのだが、本当にそうだったのかなあ? 私の手元の資料にはわからなかった。
★これで終わりです。連載にお付き合い頂きありがとうございました。いくつか未訪問となった場所や、国道352号萱峠トンネルの先の状況など、再訪はいずれするつもりです。★