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Channel: 埼玉発 おとなの小探険
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山梨県身延町 国道52号線下山地区の旧道(後編)

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【14年5月18日探索・6月5日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/29/54338429/img_0?1401720363

現在地はたぶんこの辺

練積みの石垣があった。
決定的ではないが、おそらくは旧・国道時代、あるいはそれ以前からの構造物かもしれない。

この先に建っているカーブミラーには・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/29/54338429/img_1?1401720363

その建造年度、平成7年、設置者は山梨県だと書かれていた。
つまり、平成7年にはまだバリバリの現役県道だった事が伺えた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/29/54338429/img_2?1401720363

少し広くなる箇所があったり・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/29/54338429/img_3?1401720363

この切り通し区間などは乗用車同士でも離合には相当気を遣う1.5車線幅だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/29/54338429/img_4?1401720363

峠を過ぎたようで、道は下りになる。
車はもう来ないはずだが、つづら折と落石には注意が必要だという。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/29/54338429/img_5?1401720363

先ほどの石垣よりも多少後の年代っぽい石垣の擁壁があった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/29/54338429/img_6?1401720363

右から現道が近づいてきた。

この旧道が国道52号線だったのは昭和43年までで、以降は県道37号(昭和43年当時同番号だったかどうかは不明)として過ごしてきた。
で、現道が開通、つまり旧道が旧道落ちしたのはいったいいつだったのか?
これまた正確にはわからなかったが、現道にある標識のうち平成11年設置が多かった事から、その頃なんだろうと思う。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/29/54338429/img_7?1401720363

簡易バリケードがこちら側にもあった。

平成11年以降のいずれかの時期に、身延町道となったはずの旧道だが、ここ2、3年前くらいに道路としての役目を終わらされているようだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/29/54338429/img_8?1401720363

バリケードの先は日当たりが良かった事も、その印象を大きく左右したのだが、旧国道の廃と現役の呟きが聞こえてくるようだった。

(おわりですが、続けて元国道の早川橋に行きます)

  

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