【14年5月18日探索・6月5日公開】
現在地はたぶんこの辺
練積みの石垣があった。
決定的ではないが、おそらくは旧・国道時代、あるいはそれ以前からの構造物かもしれない。
決定的ではないが、おそらくは旧・国道時代、あるいはそれ以前からの構造物かもしれない。
この先に建っているカーブミラーには・・・
その建造年度、平成7年、設置者は山梨県だと書かれていた。
つまり、平成7年にはまだバリバリの現役県道だった事が伺えた。
つまり、平成7年にはまだバリバリの現役県道だった事が伺えた。
少し広くなる箇所があったり・・・
この切り通し区間などは乗用車同士でも離合には相当気を遣う1.5車線幅だった。
峠を過ぎたようで、道は下りになる。
車はもう来ないはずだが、つづら折と落石には注意が必要だという。
車はもう来ないはずだが、つづら折と落石には注意が必要だという。
先ほどの石垣よりも多少後の年代っぽい石垣の擁壁があった。
右から現道が近づいてきた。
この旧道が国道52号線だったのは昭和43年までで、以降は県道37号(昭和43年当時同番号だったかどうかは不明)として過ごしてきた。
で、現道が開通、つまり旧道が旧道落ちしたのはいったいいつだったのか?
これまた正確にはわからなかったが、現道にある標識のうち平成11年設置が多かった事から、その頃なんだろうと思う。
で、現道が開通、つまり旧道が旧道落ちしたのはいったいいつだったのか?
これまた正確にはわからなかったが、現道にある標識のうち平成11年設置が多かった事から、その頃なんだろうと思う。
簡易バリケードがこちら側にもあった。
平成11年以降のいずれかの時期に、身延町道となったはずの旧道だが、ここ2、3年前くらいに道路としての役目を終わらされているようだった。
バリケードの先は日当たりが良かった事も、その印象を大きく左右したのだが、旧国道の廃と現役の呟きが聞こえてくるようだった。
(おわりですが、続けて元国道の早川橋に行きます)