【14年4月27日探索・5月30日公開】
縮尺を3000分の1まで上げるとここに橋が架かっていると描かれた地図になる。
八幡橋・昭和35年8月竣工だ。床版橋だろうか。
橋の脇には名もない小さな滝が流れていた。
その300mくらい先にも同様の橋が架かっていた。
鳴瀬橋・昭和36年3月竣工である。
鳴瀬橋・昭和36年3月竣工である。
橋を渡ると上り勾配がこれまでよりもキツくなる。
左の擁壁の空積みの石垣が好ましいが、未舗装という事もあって乗車はあきらめ、押しで進む。
左の擁壁の空積みの石垣が好ましいが、未舗装という事もあって乗車はあきらめ、押しで進む。
突然、舗装が復活した。
・・・が、こういった場合、たいてい勾配がさらにキツくなるか、険しい箇所になるかのどちらかになる事のだが・・・
・・・が、こういった場合、たいてい勾配がさらにキツくなるか、険しい箇所になるかのどちらかになる事のだが・・・
舗装区間は150mほどだっただろうか。
勾配は急ではあったが、際立ってということもなかった。
険しさはというと、この150mの間で、直近での山側斜面崩落跡1箇所が見られた。
勾配は急ではあったが、際立ってということもなかった。
険しさはというと、この150mの間で、直近での山側斜面崩落跡1箇所が見られた。
現在地はこの辺
右側に何かがある!
何か建物の基礎だった。
そういえば林道のこの手前20mくらいの場所に、3台くらいの車が停められるスペースがあった。
そういえば林道のこの手前20mくらいの場所に、3台くらいの車が停められるスペースがあった。
ここが倉沢鍾乳洞のかつての入洞券販売所があった所であろう。
かつて観光洞があったなんて信じられないくらい、洒落っ気のまったくない林道沿いだ。
かつて観光洞があったなんて信じられないくらい、洒落っ気のまったくない林道沿いだ。
廃階段を下りると・・・
倉沢川を渡っていた橋脚だけが残っていた。
ここが渡れれば、その先500mくらいで鍾乳洞に達するようだが、非常に危険なため立入禁止になっていると聞く。
なので、これ以上の深追いはやめて林道に戻ろう。
橋桁を乗せる台の部分がかなり大きい。
かつてこの橋脚に乗っていたのはどんな桁だったのだろうか??
かつてこの橋脚に乗っていたのはどんな桁だったのだろうか??
(その3へつづく)