【18年9月9日探索・19年1月24日公開】
その、音無橋からさらに30mほど上流側にも小さな橋が見えた。
個人宅への橋だろうから何も情報は期待できないな・・・
個人宅への橋だろうから何も情報は期待できないな・・・
現在地はここ
などと思いながら橋のところまできて驚いた。
どう見ても個人宅へのアクセス橋なんだが、そこには名前と竣工の情報が刻まれていた。
丸八橋、なんとこれまた大正橋梁だった。
どう見ても個人宅へのアクセス橋なんだが、そこには名前と竣工の情報が刻まれていた。
丸八橋、なんとこれまた大正橋梁だった。
さらに上流へ向かう。
丸八橋から遡る事約30m、また小さな橋が見えてきた。
丸八橋から遡る事約30m、また小さな橋が見えてきた。
橋自体はえらく狭く短いが、この橋にも情報はしっかり刻まれていた。
竣工情報の昭和6年6月はすぐ読めたんだが、橋の名が変体仮名で刻まれていたので戸惑った。
実際は左岸側の親柱に「米屋橋」(こめやはし)と刻まれていたので助かったが。
実際は左岸側の親柱に「米屋橋」(こめやはし)と刻まれていたので助かったが。
とりあえず、橋を渡る前に反対側を見た。
あ!何かいた!!
あ!何かいた!!
あまり歓迎されている感じではないな。そっとしておこう。
米屋橋を渡る。
それにしても狭いなと思いメジャーを取り出した。
有効幅員79cm、やっぱり狭い。
それにしても狭いなと思いメジャーを取り出した。
有効幅員79cm、やっぱり狭い。
橋を渡った先もまた狭い。
ヘリオス号を押しながら進む事もままならない程だった。
ヘリオス号を押しながら進む事もままならない程だった。
車道まで、ずっと狭かった。
ちなみに、この橋は米屋橋という名だったが、この右側の商店は精肉店だった。
ちなみに、この橋は米屋橋という名だったが、この右側の商店は精肉店だった。
(おわり)