【18年5月27日探索・7月22日公開】
現在地はここ
私が怪しいと思っていたポイントの航空写真だ。この中央付近にある木が無い平地っぽい場所が穴沢中間停留場の跡である可能性が高いと予想していた。
で、その場所へ向かっているのだが、この沢沿いにも何やら怪しげな遺留物があった。
これは一体何だったんだろうか?
索道関連のモノではなさそうだが・・・
索道関連のモノではなさそうだが・・・
沢の向こう側の崖をよじ登った。
すると、目的の平地の周りに明らかに人工的な石垣的なものがあった。期待が高まるが・・・
すると、目的の平地の周りに明らかに人工的な石垣的なものがあった。期待が高まるが・・・
こんな木も、あるいはただの立ち枯れた杉の木なのかもしれないが、何かの遺構ではないかと思えてきた。
おっ! この広場っぽいのが目的地だな。
ただ、一目見た感じでは目立つ何かは無さそうだ。
先にその周りを見ておこうか。
ただ、一目見た感じでは目立つ何かは無さそうだ。
先にその周りを見ておこうか。
という訳で、その周囲から先に見てみた。
「広場」の50m四方くらいのエリアを見て回った。
「広場」の50m四方くらいのエリアを見て回った。
県道と反対側、斜面も周囲は一通り確認した。
少し遠くに見えた構造物?と疑ったものは、ズームアップ画像を撮影し確認してみたが、遺構は特に見つからなかった。
少し遠くに見えた構造物?と疑ったものは、ズームアップ画像を撮影し確認してみたが、遺構は特に見つからなかった。
という訳で、3枚上の画像の、10mほど進んだ場所になる。
元々の私の地図解読が間違っていなければ索道の穴沢中間停留場はこの付近になるはずだ。そして、この周囲は一通り確認済みという事からすると、この場所であった可能性が高い。
元々の私の地図解読が間違っていなければ索道の穴沢中間停留場はこの付近になるはずだ。そして、この周囲は一通り確認済みという事からすると、この場所であった可能性が高い。
見たところ、決定的な遺構は無さそうな感じだが、いくつかの状況証拠で固めていこうと思う。
見上げると、少し気の高さが低いラインがあった。かつての索道はここを通っていたのかもしれない。
ここで、何かをしたんだろう。
何の跡なのかはわからなかった。
何の跡なのかはわからなかった。
これも、支柱か何かの跡であったかもしれない。
木製支柱だった場合、もっと痕跡は消滅しているのではないかという気もするが・・・
木製支柱だった場合、もっと痕跡は消滅しているのではないかという気もするが・・・
簡単なプラスティック製の支柱があった。
何だろうと近づいたら、そこには「飯能市」の文字があった。
市有地を主張しているという事になるのだが、なぜここだけ、わざわざ主張しているのだろうか?
何だろうと近づいたら、そこには「飯能市」の文字があった。
市有地を主張しているという事になるのだが、なぜここだけ、わざわざ主張しているのだろうか?
かつては鋼管鉱業(現:JFEミネラル)所有だった場所を当時の名栗村に返還した時に、設置したものが元なのではないだろうか?
以上、現地調査で決定的な遺構は見つからず、状況証拠でたぶんここが穴沢中間停留場だったんだろう、という推定をしたい。
(おわり)