【18年4月1日探索・7月20日公開】
もう1本の赤い橋へと近づく。
渡良瀬川沿いは、探索日の時点で桜がほぼ満開になっていた。
渡良瀬川沿いは、探索日の時点で桜がほぼ満開になっていた。
現在地はここ
橋の下までやってきた。
まず気になったのは2ヵ所の矢印位置だった。
何か情報が得られそうだ。
まず気になったのは2ヵ所の矢印位置だった。
何か情報が得られそうだ。
黄色矢印の場所をズームアップした。
画像ではわかりにくいが、眺橋(ながめはし)という名だった。
画像ではわかりにくいが、眺橋(ながめはし)という名だった。
黄緑矢印の方だ。
ここにはなんと橋の竣功に関する情報が刻まれていた。
昭和11年(1936)8月竣工、既に80年以上経過している橋だった。
請負人の長壁力造さんって、本名だったらすごすぎるな。
ここにはなんと橋の竣功に関する情報が刻まれていた。
昭和11年(1936)8月竣工、既に80年以上経過している橋だった。
請負人の長壁力造さんって、本名だったらすごすぎるな。
橋全体を見てみよう。
この橋はアーチ橋、でいいのかな。
この橋はアーチ橋、でいいのかな。
反対側から見ると、眺橋の向こう側に高津戸橋も見え、ちょっと面白い光景になった。
橋のすぐ近くにあるのは「ながめ余興場」だ。
この木造2階建ての劇場は昭和12年建築であるそうだ。眺橋とほぼセットという事か。
この木造2階建ての劇場は昭和12年建築であるそうだ。眺橋とほぼセットという事か。
橋の脇あたりから高津戸橋方向を見ると、確かに眺めはいい。
景観→橋の名→余興場の名という流れになったという事か。
景観→橋の名→余興場の名という流れになったという事か。
橋を渡り、余興場と反対側に出た。
こちら側には親柱の両側、同じ文字が刻まれていた。
よ、読めない・・・
さっき、漢字を見ておいてよかった(苦笑)。
さっき、漢字を見ておいてよかった(苦笑)。
(おわり)