【13年12月15日探索・14年1月22日公開】
現在地はここ
多摩川支流の大沢入をモノラック鉄橋を利用して渡った。
そして渡河地点がモノラックの車庫になっていた。
人を乗せるものではなく、貨物運搬用であるようだ。
主に何を運ぶためのモノラックだろうか?
人を乗せるものではなく、貨物運搬用であるようだ。
主に何を運ぶためのモノラックだろうか?
再び沢を渡り、沢沿いを進む本来のコースにもどった。
現在地はここ
これでも地図に描かれている橋になる。
ボロボロになった旧橋の上に新橋、というか補強の木桁が設置されている。
設置者が誰なのかが気になるところだ。
ボロボロになった旧橋の上に新橋、というか補強の木桁が設置されている。
設置者が誰なのかが気になるところだ。
岩につっかい棒がかまされていた・・・ように見えたのだが、ただ立てかけてあっただけだった。
この先、道は二つに分かれるのだが、その左側は・・・
旧橋の残骸、というか痕跡があった(注:この後に判明するのだが、ここは旧々橋だった)。
おそらくは吊り橋だったのだろう。
おそらくは吊り橋だったのだろう。
現在地はここ
現橋の方だが、2本の橋が架かっている??
橋上で離合が生じるほどの利用者があるのか??
橋上で離合が生じるほどの利用者があるのか??
と思ったら・・・
これは渡った後の撮影になるが、単に新橋と旧橋の関係だった。
どちらを渡っても良いのだろうが、朽ちかけの旧橋を渡ろうという気は起きなかった。
どちらを渡っても良いのだろうが、朽ちかけの旧橋を渡ろうという気は起きなかった。
こちら側にも旧々橋と思しき橋の橋台が残っていた。
けっこうちゃんと造られたように見える。どう見ても現橋よりも2代前の橋の方がしっかりした造りであったようだ。
けっこうちゃんと造られたように見える。どう見ても現橋よりも2代前の橋の方がしっかりした造りであったようだ。
橋の先、20mくらいの場所には徒歩道としては立派な石垣があった。
この道、鋸山林道が出来る前には檜原村との連絡道だったのではなかろうか?
それなりの通行量があったなら今よりも立派な橋が架かっていたというのも納得できる。
この道、鋸山林道が出来る前には檜原村との連絡道だったのではなかろうか?
それなりの通行量があったなら今よりも立派な橋が架かっていたというのも納得できる。
ところで、この先約200m地点にも橋記号があったのだが、私は見落としていて結果未訪問である。
いずれ訪問はしようと思う。
いずれ訪問はしようと思う。
(おわり)