【17年9月16日探索・11月16日公開】
現在地はここ
埼玉県川越市大字府川 県道12号川越栗橋線だ。
現道はこの場所から長大な橋(釘無橋・昭和48年5月竣功)にて入間川と越辺川を一気に越えているのだが、それ以前の道が気になった。
現道はこの場所から長大な橋(釘無橋・昭和48年5月竣功)にて入間川と越辺川を一気に越えているのだが、それ以前の道が気になった。
ここで登場するのはいつもの今昔マップだ。
釘無橋現道に対応する旧道、どこまで残っているのかわからないが行ってみよう。
現道脇の道を進む。進入禁止になっているのでヘリオス号は押す事にした。
現道脇の道を進む。進入禁止になっているのでヘリオス号は押す事にした。
100mほど進んでいくと古そうな橋が架かっているのが見えた。
欄干は片側のみ残っている。
この、アーチが連続する欄干開口部の意匠は昭和初期に多かったそうだ。
正確な竣功時期は不明ながら、昭和9年~13年の間に行われた伊佐沼代用水路改修事業によるものであろうと思われる。
この、アーチが連続する欄干開口部の意匠は昭和初期に多かったそうだ。
正確な竣功時期は不明ながら、昭和9年~13年の間に行われた伊佐沼代用水路改修事業によるものであろうと思われる。
親柱の上にはかつては何か乗っかっていたようだ。
府川橋の名は石に刻まれている。
府川橋の名は石に刻まれている。
そんな事より、ここでの注目は・・・
どこから持ってきたものかが不明な「出世稲荷大明神」の扁額が放置されていた。
釘無橋アプローチ部分の下をくぐる。
入間川上流方向に少し行ったところで、河川敷に降りる道がある。
今昔マップに描かれている道とは少しずれているようだが・・・
今昔マップに描かれている道とは少しずれているようだが・・・
現在地はここ
未舗装路だと昔を偲べる気がする。
現道はちょうど釘無橋が始まった場所だ。
現道はちょうど釘無橋が始まった場所だ。
この道はたぶん昭和16年発行の地図(今昔マップ)に描かれている道だと思われる。
が、入間川手前で左に90度カーブしていた。
旧道はこのまままっすぐのようだ。
旧道はこのまままっすぐのようだ。
今昔マップの昭和16年発行の地図だとこの辺で渡っていたようだが、そういった痕跡は何もなかった。
(その2へつづく)