【17年8月5日探索・11月7日公開】
現在地はここ
通行止標識の先、一ノ倉沢だ。
マピオン地図ではこのカーブの先までが国道色になっている。
ちなみに、地理院地図だとこの先清水峠までずっと国道として描かれている。
マピオン地図ではこのカーブの先までが国道色になっている。
ちなみに、地理院地図だとこの先清水峠までずっと国道として描かれている。
ここから先は初めて見る光景になる。
この50m手前でアスファルトから簡易舗装になったのだが、それも谷を越えた先ですぐに途切れ、ここから先は未舗装になる。
その少し先、左側の擁壁の岩に何かプレートが埋め込まれている事に気が付いた。
最初は何だかわからなかったのだが、これは谷川岳の遭難者への鎮魂のためのプレートだった。
しかもこの周囲には何枚も埋め込まれていた。
谷川岳は本当に厳しい山だという事を改めて思い知らされた。
しかもこの周囲には何枚も埋め込まれていた。
谷川岳は本当に厳しい山だという事を改めて思い知らされた。
簡易ゲートの跡があった。
ここまでが通行可能とされた時期もあったのだろうか?
ここまでが通行可能とされた時期もあったのだろうか?
本当に鎮魂のプレートが数多い。
・・・多くの方々に手を合わせた。
・・・多くの方々に手を合わせた。
通行不能扱いの道だが、普通に乗車できる。
ここで、矢印をつけ忘れたが・・・
ここで、矢印をつけ忘れたが・・・
何かの杭が打ち込まれていた。
群馬県とかの文字を期待したのだが、何も書かれていなかった。
明治18年(1885)に整備された馬車道は、それから130年以上経ってもおそらく当時と同じような光景なのだろう。
現在地はここ
国道は左急カーブになる。そしてこの地点も分岐になっていて、登山道である「新道」に0.4kmで行ける。
蓬峠まで9.1kmと書かれているが私はそんなには行かない。この探索のゴール地点の幽ノ沢まではあと600m強といったところか。
蓬峠まで9.1kmと書かれているが私はそんなには行かない。この探索のゴール地点の幽ノ沢まではあと600m強といったところか。
なぜここに一ノ倉沢の展望案内図があるのかは不明だ。
清水峠側から来た人への案内か??
清水峠側から来た人への案内か??
その先に進む。明治の馬車道は自転車にもけっこう優しい。
そろそろ、目的の石垣が近いはずだが・・・
(その6・最終回につづく)