【13年10月12日探索・12月29日公開】
現在地はここ
何かの施設と建物と水管橋らしきものが見えた。
「山行が」でももちろん見た記憶のある場所だったが、直近ではあえて閲覧しなかった(少しでもその場での感動を得たいため)。
「山行が」でももちろん見た記憶のある場所だったが、直近ではあえて閲覧しなかった(少しでもその場での感動を得たいため)。
まずは階段の横にある施設だ。
穴があったので入れないかと思ったが、封鎖されていた。
穴があったので入れないかと思ったが、封鎖されていた。
その上部である。プールだった。
水管橋が隣に架かっているのだが、その水路に関連するものであろうか。
水管橋が隣に架かっているのだが、その水路に関連するものであろうか。
先ほどと同じ増水注意の看板とその先には発電施設と付帯施設立入禁止の看板があった。
ここで私はたじろいだ。
ここから先には行ってはいけないのか??
ここで私はたじろいだ。
ここから先には行ってはいけないのか??
・・・しかし、よく読みなおしたら「通路」だけを通れという解釈ができた。
その解釈が正解だったのかはわからないが、先に進む事にした。
その解釈が正解だったのかはわからないが、先に進む事にした。
それでもこの沈砂池と思しき池の縁を通る通路脇には監視カメラ(右の茶色の電柱の下)が設置されていた。
これには写りたくなかったので、通路部分の進行には注意を払う。
これには写りたくなかったので、通路部分の進行には注意を払う。
木の山小屋風の建物だが、白雲荘と名づけられている。
単なる監視小屋としてはしっかりした造りのようで、緊急時には宿泊する事も可能だと思われた。
単なる監視小屋としてはしっかりした造りのようで、緊急時には宿泊する事も可能だと思われた。
さて、華厳渓谷を跨ぐ水管橋だが、昭和10年7月竣工・東京田原製作所製造のワーレントラス橋であった。
また、この反対側、ちょうど監視カメラの下あたりには「平成10年9月16日に台風5号による被害で橋台が転倒し沈砂池が流出した」旨のプレートがあった。
さほど新しい池には見えなかったが、近年にかなり大掛かりな修理がされたようだ。
また、この反対側、ちょうど監視カメラの下あたりには「平成10年9月16日に台風5号による被害で橋台が転倒し沈砂池が流出した」旨のプレートがあった。
さほど新しい池には見えなかったが、近年にかなり大掛かりな修理がされたようだ。
水管橋の上部には「通路」が付いており、私はそこを利用し左岸に着いた。
先ほど昭和10年竣工と書いたが、実は反対側中央部には別の銘版があったのだった。
それによると「古河鉱業株式会社 馬道水源水路鉄管 製作 佐藤工業富山工場 昭和27年7月」とあった。
トラス部分と水管の竣功年も製造所も違うので、トラス部分は転用である可能性が高い(後で山行がを見直したら大御所さんがすでにその可能性について述べてました)。
それによると「古河鉱業株式会社 馬道水源水路鉄管 製作 佐藤工業富山工場 昭和27年7月」とあった。
トラス部分と水管の竣功年も製造所も違うので、トラス部分は転用である可能性が高い(後で山行がを見直したら大御所さんがすでにその可能性について述べてました)。
一連の構造物たちに別れを告げ、先に進む。
現在地はここ
右に怪しげな階段があった。
これを利用し先に進むのだが、その前に正面に行ってみる。
これを利用し先に進むのだが、その前に正面に行ってみる。
10mほど進んだが「社外者の立入を禁ず」という看板が目に入ったので、ここで引き返す。
ここが取水施設であろうか?
ここが取水施設であろうか?
で、先ほどの階段だ。
昭和20年代には遊歩道だったんだよね、こんな怪しげな状態に見えても・・・
昭和20年代には遊歩道だったんだよね、こんな怪しげな状態に見えても・・・
目的地までもうすぐだ。
(その7へつづく)