【17年5月4日探索・6月29日公開】
現在地はここ
木戸川森林鉄道のたぶん知られざる遺構、大滝沢橋梁(仮称)の橋脚が2基、まだ残存していた。
今昔マップ(昭和27年?)の地図とは軌道の位置が合わないので、その頃、もしくはそれ以降に施工されたものだろう。ただ、そうだとすると短命だった(昭和36年廃止)事になる。
今昔マップ(昭和27年?)の地図とは軌道の位置が合わないので、その頃、もしくはそれ以降に施工されたものだろう。ただ、そうだとすると短命だった(昭和36年廃止)事になる。
旧道の現役道(廃橋の方ではなく)に橋が架かっていなかった事も気になったのだが、コルゲートパイプ隧道により水路は抜けていたのだった。
せっかく発見した橋脚だったのだが、何枚か撮影した画像は似たような感じだったので、他の画像の掲載は割愛する。
橋脚があれば橋台も当然ある。のだが、橋脚の高さと合わない。
一体どんな橋が架かっていたのだろうか・・・
橋脚があれば橋台も当然ある。のだが、橋脚の高さと合わない。
一体どんな橋が架かっていたのだろうか・・・
現道(旧道だが)に戻り、現・県道の夫婦橋を再度くぐりその先へ進む。
こんな切通しの先にあったのは・・・
こんな切通しの先にあったのは・・・
この右側に何かあった。
殉職者の追悼の碑だった。
昭和8年10月に亡くなった小山忠次さんと昭和9年10月に亡くなった原四郎吉さんの追悼のために建てられたと刻まれていたが、殉職の原因については何も情報がなかった。
林鉄に関係する事なのかどうかもわからなかった。
昭和8年10月に亡くなった小山忠次さんと昭和9年10月に亡くなった原四郎吉さんの追悼のために建てられたと刻まれていたが、殉職の原因については何も情報がなかった。
林鉄に関係する事なのかどうかもわからなかった。
そのちょっと先、ここは舗装された車道だが、9kmレールが支柱として使われていた。
現在地はここ
右側が広くなっていた。
第3駐車場だった。4箇所ある駐車場のうち唯一の自動車が駐車されていた。
第3駐車場だった。4箇所ある駐車場のうち唯一の自動車が駐車されていた。
第3駐車場のすぐ先には第4駐車場がある。
その第4駐車場の先は通行止・立入禁止となっていた。
ちなみに軌道がどこを通っていたのかは不明だ。
ちなみに軌道がどこを通っていたのかは不明だ。
立入禁止地点より先には行けないので、遠くに見えた橋だけ、ズームアップで撮影した。
道はこのままダム方向に向かうのかと思っていたが、どうも橋の先で左にカーブしている。そのまま県道250号線までの作業道が存在しているようだ。
道はこのままダム方向に向かうのかと思っていたが、どうも橋の先で左にカーブしている。そのまま県道250号線までの作業道が存在しているようだ。
何となくキリが悪いので、第3駐車場から先に延びていた遊歩道を通って、木戸川の河原に降り、ダム堤体が見える場所まで進んできた。
ここまでで10回も連載してしまっているので、この先、さらにピッチを上げていこう。
(その11へつづく)