【16年11月6日探索・17年2月20日公開】
現在地はこの辺
★昨日の記事で最後の画像の現在地が違っていたようです。訂正いたします。★
峠を越え下りに入り、ようやく乗車可能になった。
まずはこんなカーブを通過する。
まずはこんなカーブを通過する。
石垣施工がけっこうな年季だ。いったいいつの物なのだろうか?
航空写真で確認すると、昭和43年のものでは道ははっきりと写っていないが昭和49年版には割とはっきりと写っている。また、私が持っている昭和27年の地形図にはこの付近に道の記号は描かれていない。
あるいはかなり昔から地図にも描かれない徒歩道はあったのだろうが、それが昭和45年(1970)前後に車道として整備されたものと思われた。
あるいはかなり昔から地図にも描かれない徒歩道はあったのだろうが、それが昭和45年(1970)前後に車道として整備されたものと思われた。
その先、路肩に何かがあった。
どうも路肩を直した跡であるようだ。
予告にあった「路肩崩壊」は復旧したという事か?
予告にあった「路肩崩壊」は復旧したという事か?
最後の左カーブを過ぎると・・・
こちら側のゲートがあった。
そして黄色いラミネートには反対側と同じ「路肩崩壊」による通行止めの記載があった。
やっぱりさっきのやつがそうだったんだ・・・
やっぱりさっきのやつがそうだったんだ・・・
路肩崩壊については結局何も現れず、完抜は成功したようだ。
それから間もなく舗装も復活し、もうゴール地点も見えてきた。
現在地はここ
もう都道31号青梅あきる野線も目と鼻の先に見えているのだが、ゴール地点手前の数メートルが特筆スポットだった。
右側を見た。
こりゃよくわからないな・・・
まあ、ヒントは左側のコンクリの柵なんだろう。
こりゃよくわからないな・・・
まあ、ヒントは左側のコンクリの柵なんだろう。
左側を見た。
こちら側のほうが辛うじて雰囲気があるな・・・
こちら側のほうが辛うじて雰囲気があるな・・・
これは昭和57年まで運行していた旧国鉄五日市線の支線の跡なのだ。
つまりこの画像を撮っている私が立っているのは踏切跡という事になる。
つまりこの画像を撮っている私が立っているのは踏切跡という事になる。
(おわり)