【13年12月1日探索・12月13日公開】
現在地はここ
檜原村の藤原地区だ。かなり奥の方まで進んできた。
画像に写る赤い欄干の橋は藤倉橋、昭和62年1月竣工の橋だ。現道はその先で再び北秋川を下除毛新橋(こちらも昭和62年1月完成)にて渡る。
画像に写る赤い欄干の橋は藤倉橋、昭和62年1月竣工の橋だ。現道はその先で再び北秋川を下除毛新橋(こちらも昭和62年1月完成)にて渡る。
旧道は北秋川を渡らないルートなのだが、yahoo地図ではもう1段階拡大しても旧道入口の「ヒゲ」部分しか描かれていない。
これは道路としてはとんでもない状況なのでは?と覚悟していた。が・・・
これは道路としてはとんでもない状況なのでは?と覚悟していた。が・・・
何かの工事をしているようだった。
そのせいかもしれないが、旧道がまた「道路」として使用されているようだ。
そのせいかもしれないが、旧道がまた「道路」として使用されているようだ。
ここは地図には描かれていない区間になる。ちなみにmapion地図でも同様だった。
そんな旧道だったが、極めて穏やかであった。
藪こぎ廃道かと思っていたので拍子抜けしたが、その一方ではほっとしていたのも正直なところだった。
そんな旧道だったが、極めて穏やかであった。
藪こぎ廃道かと思っていたので拍子抜けしたが、その一方ではほっとしていたのも正直なところだった。
旧道の幅員は4mほどだろうか。
路線バスも通行していたはずなので、離合には苦労していたに違いない。
路線バスも通行していたはずなので、離合には苦労していたに違いない。
都道であった証拠が何かないかと思っていたところ・・・
東京都マークが路上に埋まっていた。
これはキロポストじゃないようだし、境界柱でもないようだ。
都道ですよという主張のためのものだろうか?
都道ですよという主張のためのものだろうか?
半分埋まっている標識があった。
「左つづら折りあり」だった。
この場所は5m以上も幅員があったようだ。離合場所だったのかもしれないな。
この場所は5m以上も幅員があったようだ。離合場所だったのかもしれないな。
小さな橋を渡る。下除毛橋という名だ。渡っている河川が違うが現道の橋(下除毛新橋)と対になっている。
この橋、どうやら送水管用に再利用されるようで、その工事がなされていた。
この橋、どうやら送水管用に再利用されるようで、その工事がなされていた。
そんな橋の左に「左つづら折りあり」が傾きながら建っていた。
10mほど進んで振り返った。
振り返っての左側にも幅員減少標識が、こちらは最早立ってすらいない状態だった。
現道へ合流・・・階段になっていた。
元々はもっと標識にもあった「つづら折り」で高低差を克服していたはずだ。
元々はもっと標識にもあった「つづら折り」で高低差を克服していたはずだ。
・・・そうか。ここが階段だったから反対側から工事車両の出入りがあったんだ。
この先地図では都道色はもうすぐ終わる事になっていた。
探索前の予定なら次が最終回くらいになるはずだったが、実際の都道指定は全然違っていたのだった。
なので、ここからが佳境に入る。
探索前の予定なら次が最終回くらいになるはずだったが、実際の都道指定は全然違っていたのだった。
なので、ここからが佳境に入る。
(その4へつづく)