【16年8月13日探索・11月22日公開】
現在地はここ
二ノ茶屋跡(古い地図から私はそう読んだが、一の茶屋とするとする向きもある)の全景を撮影し、この場所を後にした。
この道が県道になったのは大正9年で、茶屋が造られたのもその前後だろうか。それにしても圧巻だな・・・
この道が県道になったのは大正9年で、茶屋が造られたのもその前後だろうか。それにしても圧巻だな・・・
こんな華奢な橋が架かっているが、本来のものではなかろう。
この日の私の終点はわたらせ渓谷鉄道の間藤駅だ。
列車は1時間に1本もないので、乗り遅れたくなかった。なので、ピッチを上げていく。
列車は1時間に1本もないので、乗り遅れたくなかった。なので、ピッチを上げていく。
道はあるが、いやに岩が多くなっていた。
小さな水路があり、その流路は石で造られていた。ここには昔から橋は架かっていなかった可能性が高かった。
何だか、さらに石、というか岩が多くなってきた。
県道250号中宮祠足尾線、本当にいろんな表情を見せる道だな・・・
そんな一帯でも路肩は石垣で築かれた場所があった。
その先には、何やら大きな支柱が建っていた。
これは・・・古河鉱業(現・古河機械金属)のものではないか!
いや、正確に言えばその前身である古河本店が明治10年(1877)に制定したマークなので、この支柱がいつからここに建てられているのかは不明だった。
いや、正確に言えばその前身である古河本店が明治10年(1877)に制定したマークなので、この支柱がいつからここに建てられているのかは不明だった。
道の形が往時のまま残されていた。
つうか、放置??
つうか、放置??
こんな迫ってくる岩場横を抜け・・・
先の方に小さな橋が架かっていた。
が、かなり朽ちており、体重を預ける気にはならず、飛び越えてしまいたくなるレベルだった。
(その9へつづく)