【16年8月13日探索・11月21日公開】
現在地はこの辺
左岸側の道は約100mくらいだ。
その下流でも渡渉になる事はわかりきっていたので、私はこの100mをサンダルのまま進んだ。
その下流でも渡渉になる事はわかりきっていたので、私はこの100mをサンダルのまま進んだ。
3度目の渡渉になる直前の場所にやや簡易的ながら道標が掲げられていた。
いつくらいからここに掲げられていて、どれほどの人たちに見られたのだろうか?
今では滅多に目にする人間はいないが。
いつくらいからここに掲げられていて、どれほどの人たちに見られたのだろうか?
今では滅多に目にする人間はいないが。
渡渉地点横には、橋台が残っていた。
橋自体は、木橋だったのだろう、今は何も残っていない。
橋自体は、木橋だったのだろう、今は何も残っていない。
渡渉を終え、振り返った。
橋台は両側に残っており、こっちが左岸側だ。
橋台は両側に残っており、こっちが左岸側だ。
サンダルからスニーカーに履き替えた。
スニーカーもまだ濡れたままなので、その点ではそう変わっていないが、安定性は全然違う。
スニーカーもまだ濡れたままなので、その点ではそう変わっていないが、安定性は全然違う。
で、今度はこんな岩が迫るような道を進む。
そんな場所でも路肩は石垣造りだ。
その先、今度はこんな鉄の支柱と針金による規制のある箇所になった。
しかもその支柱が行く手の障害物になっていた。
いきなり現れたのは、こんな現代的な塔だった。
携帯会社のアンテナかと思ったが、人家のないこんな場所に造るはずもない。
これは国土交通省の渡良瀬川深沢雨量観測所だった。ちなみに設置は昭和60年5月、この場所でもまだ標高は1025mある。
携帯会社のアンテナかと思ったが、人家のないこんな場所に造るはずもない。
これは国土交通省の渡良瀬川深沢雨量観測所だった。ちなみに設置は昭和60年5月、この場所でもまだ標高は1025mある。
そのすぐ先に、立派な石垣があった。
石垣の脇はかなり荒れた階段になっていた。
ちなみにこの場所にも足尾⇔半月の看板がある。
ちなみにこの場所にも足尾⇔半月の看板がある。
謎の構造物の残骸??
階段を上がると、そこはかなり広い平場だった。
二ノ茶屋がこの場所であったようだ。
明確に跡が残っているのはこの場所だけのようだ。
二ノ茶屋がこの場所であったようだ。
明確に跡が残っているのはこの場所だけのようだ。
そして、茶屋の目印だったのだろう、あるいは夜間も営業していたのだろうか?
灯篭が往時のままそこに残っていた。
灯篭が往時のままそこに残っていた。
(その8につづく)