【16年8月13日探索・11月16日公開】
こんな、およそこんな道が県道指定されているなんて想像もつかない、ただの山道だ。
この岩の多い道を降りて行くと・・・
この岩の多い道を降りて行くと・・・
下った先が峠になっているようだ。
現在地はここ
ここが半月峠(標高1549m)だ。
このまま直進するとこの峠が開削される前・大正9年以前の、いわば旧道になる阿世潟峠(標高1417m)に到達する。右折すると狸窪(むじなくぼ)、つまりは昨日の記事に出てきた八丁出島の近くに出る。
このまま直進するとこの峠が開削される前・大正9年以前の、いわば旧道になる阿世潟峠(標高1417m)に到達する。右折すると狸窪(むじなくぼ)、つまりは昨日の記事に出てきた八丁出島の近くに出る。
えっ?何で古代からの道よりも大正9年に開削された道のほうが標高が高いかって?
それは明治時代に稼働が本格化した足尾銅山の精錬場からの亜硫酸ガスの影響により、阿世潟峠付近では木々が枯れ、結果土砂崩れが頻発し道路が通れなくなったからであるそうだ。
それは明治時代に稼働が本格化した足尾銅山の精錬場からの亜硫酸ガスの影響により、阿世潟峠付近では木々が枯れ、結果土砂崩れが頻発し道路が通れなくなったからであるそうだ。
私が進むべき道はこちら側にあるはずなのだが、何の案内もない。
それが原因で最初違う方向に進み始めたのだが、地図ロイドアプリとGPSのおかげで助かった。
それが原因で最初違う方向に進み始めたのだが、地図ロイドアプリとGPSのおかげで助かった。
8分のロスタイムがあったが、目的の道に進めたようだ。
それにしても、何とも心細い通行量だな・・・
それにしても、何とも心細い通行量だな・・・
明らかな平場があった。
ここは富士見茶屋という茶屋があった場所に違いない。
ここは富士見茶屋という茶屋があった場所に違いない。
ちなみに、半月峠から足尾までの峠越えの道にはかつて5軒もの茶屋があったそうで、皆繁盛していたというが、今ではそんな通行量があった道には見えなかった。
今では本当に、相当な物好きくらいしか歩かないのだろう。
それでも歴史ある道だというかすかな痕跡は・・・
それでも歴史ある道だというかすかな痕跡は・・・
こんな石垣が残っている事だった。
通行者はほぼ皆無なので、こんな崩落があっても復旧などされないのだろう。
苔むした無数の岩がある場所に来た。
この場所の雰囲気は半月山駐車場脇から見たものと似ているな、と思い・・・
地図ロイドアプリで現在地を確認したらまさにビンゴだった。この岩場を100mほど進めれば半月山駐車場だ。
ところで、地理院地図ではこの辺からが県道色になっているのだが、とりあえずはスルーしよう。
ところで、地理院地図ではこの辺からが県道色になっているのだが、とりあえずはスルーしよう。
足元が見えない道を進んでいく。
笹がすごいため、足元に何かしらの危険が潜んでいてもおかしくない。
しかし、こんな場所で怪我でもしようものなら生還すら危ない事になるので、慎重に進む。
笹がすごいため、足元に何かしらの危険が潜んでいてもおかしくない。
しかし、こんな場所で怪我でもしようものなら生還すら危ない事になるので、慎重に進む。
(その3へつづく)