【16年8月7日探索・10月24日公開】
私はたぶん根っからの貧乏性なんだと思う。
家族旅行の最中でも、気になっている場所があればなんとか探索をしたいと思い、その時間の捻出をまだ皆が寝静まっている早朝にしようと考えていた。
そして、時刻は4時半、普段は滅多に早起きなんぞしないのだが、こういう時にはしっかり目が覚めた。
私が宿泊した万座温泉から万座ハイウェーを下ること約8km、目的の場所の入口に着いた。
家族旅行の最中でも、気になっている場所があればなんとか探索をしたいと思い、その時間の捻出をまだ皆が寝静まっている早朝にしようと考えていた。
そして、時刻は4時半、普段は滅多に早起きなんぞしないのだが、こういう時にはしっかり目が覚めた。
私が宿泊した万座温泉から万座ハイウェーを下ること約8km、目的の場所の入口に着いた。
現在地はここ
ちなみに現在時刻は5時12分だ。
群馬県吾妻郡嬬恋村干俣 万座ハイウェーから鉱山跡へ分岐する道の入口なのだが、謎の小屋が建っていた。
工事事務所のようだったが、何だろう?
群馬県吾妻郡嬬恋村干俣 万座ハイウェーから鉱山跡へ分岐する道の入口なのだが、謎の小屋が建っていた。
工事事務所のようだったが、何だろう?
数メートル先にいく。
本来はこれが1枚目画像だろう。
本来はこれが1枚目画像だろう。
ちなみに、車はここでは目立つので200mほど離れた駐車スペースに停めた。
そして歩行者進入禁止のこの道の、路肩の外側を歩いてここまで辿りついたのだった。
そして歩行者進入禁止のこの道の、路肩の外側を歩いてここまで辿りついたのだった。
バリケードが一応設置されているが、物理的には完全ウエルカムだ。
しかし、関係者以外立入禁止の文言が引っ掛かった。
しかし、関係者以外立入禁止の文言が引っ掛かった。
と言って、そのまま引き下がるなんてできない。
増してやこの場所は自動車専用道路からの分岐になるので、普段のスタイル(電車で輪行+自転車)での訪問は不可能なのだ。
増してやこの場所は自動車専用道路からの分岐になるので、普段のスタイル(電車で輪行+自転車)での訪問は不可能なのだ。
という事で、ほぼ確信犯ながら、ゲートの通過は避けて通る事にする。
入口には吾妻硫黄鉱山の記念碑や
関連の記念碑や
現役時代の石碑などが並んでいた。
改めて、先ほどのバリケードの先だ。
ここで吾妻硫黄鉱山の簡単な歴史について~
吾妻硫黄鉱山は明治43年に発見され、大正3年に群馬硫黄株式会社により採掘が開始されたものの業績は芳しくなく、吾妻硫黄株式会社に引き継がれた。昭和9年には乾式精錬所が稼動をはじめ、草軽電鉄の専用貨物駅までの索道を造って出荷した。
昭和15年、東洋レーヨン株式会社に買収され帝国硫黄株式会社吾妻鉱山となり、またこの頃電気がひかれ、吾妻小学校が開校した。
戦後は、朝鮮戦争により硫黄需要の増加、昭和28年には過熱蒸気を用いた湿式精錬も導入され、全盛期の生産量は年間3万トンにも達した。昭和35年、集落の世帯数は292戸、人口は1300名を越えたらしい。
しかし、重油脱硫からの硫黄回収が進むと共に硫黄採掘は廃れ、昭和46年5月に閉山となった。
昭和15年、東洋レーヨン株式会社に買収され帝国硫黄株式会社吾妻鉱山となり、またこの頃電気がひかれ、吾妻小学校が開校した。
戦後は、朝鮮戦争により硫黄需要の増加、昭和28年には過熱蒸気を用いた湿式精錬も導入され、全盛期の生産量は年間3万トンにも達した。昭和35年、集落の世帯数は292戸、人口は1300名を越えたらしい。
しかし、重油脱硫からの硫黄回収が進むと共に硫黄採掘は廃れ、昭和46年5月に閉山となった。
入口からの道を進むと、まずは左側に何かがあった模様。
しかし、何があったのかはわからなかった。
入口からの道は突き当たった。
まず、左折してみよう。
まず、左折してみよう。
ん!!
いつの間に、だが電信柱が現れた。
電気を引いていう施設があるのだろうか??
電気を引いていう施設があるのだろうか??
(その2へつづく)