【16年7月3日探索・9月19日公開】
現在地はここ
表示する地図を地理院地図に変えてみた。
地理院地図には少し前に分岐した山道と、この「駅前広場」までの道がともに県道色に塗られていた。
地理院地図には少し前に分岐した山道と、この「駅前広場」までの道がともに県道色に塗られていた。
そんな「駅前広場」の左側には吊り橋が架かっていた。
そしてトイレがあり、その脇にはここが標高1030mである事を示す標柱が建っていた。
「駅前広場」を駅舎跡の方から見た。
ここの光景は現役時代とそう変わっていないものと思われた。
ここの光景は現役時代とそう変わっていないものと思われた。
今度は駅前広場から駅舎のあった現在はあずまやになっている場所を撮影した。
ほぼ同じ場所の、昭和32年当時の写真がこれだ(旧・赤城山頂駅の内部に展示してあった写真を撮影しました)。
開通当時とは言え、駅前のこの悪路って・・・本当にここに路線バスが走ったのだろうか??
開通当時とは言え、駅前のこの悪路って・・・本当にここに路線バスが走ったのだろうか??
あずまやをよく見ると、向かって左側などは元の駅舎の基礎と思われる構造物の跡があった。
あずまやの裏手には階段がある。
そう、この階段こそはケーブルカーの駅の跡になる。
廃止は昭和42年(1967)なので、廃止後49年経った姿である。
そう、この階段こそはケーブルカーの駅の跡になる。
廃止は昭和42年(1967)なので、廃止後49年経った姿である。
廃線部分に足を踏み入れてわずか10m、ここはもう別世界になっていた。
駅ホームの基礎となる部分には、一部レールが使用されているようだった。
現在地はここ
駅を離れてまずは順調に廃線跡めぐりがスタートした。
右側の擁壁に張り付いている構造物は何だろう?
これはおそらく通信ケーブルの支柱を立てるものだろう。
その先、右側の切込みは山側からの沢を逃がすため、のものだろう。
そうなると線路をくぐって、この反対側へ排水される水路の出口形状は??
そうなると線路をくぐって、この反対側へ排水される水路の出口形状は??
一瞬、レンガとかPCとかを期待してしまったが、戦後の施工なのだから、こんなもんか・・・
気を取り直して先に進もう。
(その3へつづく)