【13年9月22日探索・11月20日公開】
現在地はここ
まだ夏場に近い季節だったとは言え、坑口付近はさらに鬱蒼としており心霊スポットとしての様相に拍車がかかっていた。
こんな状態だが、畑隧道は埼玉県内で最古の煉瓦隧道で、明治44年(1911)竣工の近代土木遺産としても価値のある隧道だ。
こんな状態だが、畑隧道は埼玉県内で最古の煉瓦隧道で、明治44年(1911)竣工の近代土木遺産としても価値のある隧道だ。
内部は・・・5年前とそう変わらない印象だった。
天井付近の擦り跡も、白化した部分も変わっていない。
天井付近の擦り跡も、白化した部分も変わっていない。
延長は78mだそうだが、隧道周囲が鬱蒼としているせいか内部は真っ暗に近い。
そんな中「テン、テン、テン・・・」という音が洞内に響き渡っていた。
そんな中「テン、テン、テン・・・」という音が洞内に響き渡っていた。
犯人は反対側坑口近くに置かれていた、おそらくカーブミラーの部品だった。
このちょうど真上から水が滴り落ちており、音が出ていたのだった。
このちょうど真上から水が滴り落ちており、音が出ていたのだった。
隧道の先で右急カーブになる。
こちら側の坑口だ。
よく見ると4重の煉瓦の周りは玉石施工だが、空積みではなく、セメントで固められていた。
セメント使用隧道としてもかなり初期のものと言えよう。
よく見ると4重の煉瓦の周りは玉石施工だが、空積みではなく、セメントで固められていた。
セメント使用隧道としてもかなり初期のものと言えよう。
こちら側もたまの歩行者が通るくらいなのか、完全にシングルトラックと化していた。
そんな廃道途中に、畑トンネルの歴史について書かれた案内板があった。
昭和62年にバイパスが出来、旧道になり県道指定が外されたようで、それは反対側で確認出来た事とほぼ一致していた。
昭和62年にバイパスが出来、旧道になり県道指定が外されたようで、それは反対側で確認出来た事とほぼ一致していた。
平成元年には「市道」であり、少なくとも長年の功績に「感謝」されていた旧道と隧道だったはずなのだが・・・
案内板の先も「市道」には見えない状態だった。
そして、こちら側のバリケードだ。
一応、30cmくらいの隙間はあり、人は通れるが、ヘリオス号を通過させる事もスムーズには出来なかった。
一応、30cmくらいの隙間はあり、人は通れるが、ヘリオス号を通過させる事もスムーズには出来なかった。
反対側の一般道から見るとこうなる。
「進入禁止」と書かれた看板が建っているが、反対側には「車両通行止」しか、なかったぞ!
「進入禁止」と書かれた看板が建っているが、反対側には「車両通行止」しか、なかったぞ!
(おわり)