【16年6月5日(13年4月20日)探索・6月12日公開】
東京都西多摩郡檜原村本宿 都道33号上野原あきる野線から林道笹野向線が分岐する場所だ。
私は林道沿いこの先の小さな橋記号の場所に向かったのだが、探索としてはボツネタで、すごすごと戻ってきたところだった。
私は林道沿いこの先の小さな橋記号の場所に向かったのだが、探索としてはボツネタで、すごすごと戻ってきたところだった。
何か、正面の壁面がすごい事になっている。
そして、この場所って、確か・・・
そして、この場所って、確か・・・
都道に架かる馬場橋から対岸を撮影した。
対岸には都道旧道があったはずの場所だが、ものの見事に飲み込まれている。
対岸には都道旧道があったはずの場所だが、ものの見事に飲み込まれている。
そのまま少しだけカメラを下に動かした。
崩落の規模がおわかり頂けるかと思う。
崩落の規模がおわかり頂けるかと思う。
現役と思われる電信柱も、そのまま土砂と一緒に崩落していた。
送電線はそのまま張られているように見えるが、こんな状態のまま送電を続けているのだろうか?
送電線はそのまま張られているように見えるが、こんな状態のまま送電を続けているのだろうか?
そう言えば以前にこの旧道は通った事があったが、記事にはしていなかったな。
とりあえず旧道へ向かう。
とりあえず旧道へ向かう。
都道の現道ではこの区間は馬場橋と笹野大橋の2本の橋で南秋川を一気に跨いでいる。
で、笹野大橋を渡ったところが新旧道の分岐地点だ。
で、笹野大橋を渡ったところが新旧道の分岐地点だ。
冒頭の地図では「笹野」バス停がある場所だ。
右が現道・笹野大橋で左がその旧道だ。左の道に進む。
右が現道・笹野大橋で左がその旧道だ。左の道に進む。
ちなみに、笹野大橋は平成7年(1995)7月竣工なので、旧道はそのあたりから旧道になっている。
笹野地区の集落は普通に、しばらく続いている。
家屋がなくなるその先にバリケードが設置されているのが見えた。
石仏がある、この場所にバリケードが設置されていた。
フェンスの間から先を覗いてみる。
ズームアップした。
電信柱の状態から推定すると、本当に最近の崩落なんだと思う。
関連する事だと思うが、この日の探索に向かう途中、都道33号線・あきる野市の新矢柄橋(大きな1本アーチの橋と言えば通過した事のある方ならお判りかと思う)の旧道も「崩落の恐れあり」という理由で通行止になっていたのだが、私はその旧道を5月15日にも通過していたのだった。ほんの3週間の間に集中豪雨でもあったのだろう。
旧道の反対側の合流地点にも見てみた。
工事の現場事務所らしき小屋が設置されていたので、すぐに復旧工事に入るのかと思ったら、この事務所は現道・馬場橋の塗装工事の事務所だった。
工事の現場事務所らしき小屋が設置されていたので、すぐに復旧工事に入るのかと思ったら、この事務所は現道・馬場橋の塗装工事の事務所だった。
その歩道側に人が入れるスペースがあったので、そこからバリケード手前まで進み、そこから撮影したのがこの画像だ。
現在の状況はだいたいわかった。ここも送電線が移動するとすれば道自体はこのまま廃されるかもしれない。
で、過去にここを通った時の画像を探した。
すると、あった。2013年4月20日、雨の日に通過していたので、その時の画像をご覧頂こう。
すると、あった。2013年4月20日、雨の日に通過していたので、その時の画像をご覧頂こう。
当時からA型バリケードが設置されていた、のだが、これって3枚上の画像に写っているものと同じバリケードのようだ。
そして、ちょうどこの画像の場所が崩落地点そのものである。
もうこの風景は見られない可能性が高い。
もうこの風景は見られない可能性が高い。
この場所は、過去に路肩が崩落していたようで(冒頭の地図でもそのように描かれている)、この時点では「1車線道路」として復旧していたのだった。
この崩落時期はわからないが、旧道として余生を送っていたこの時点では、これで充分の措置だったのだろう。
この崩落時期はわからないが、旧道として余生を送っていたこの時点では、これで充分の措置だったのだろう。
現道への合流地点が見える。
そう、4枚上の画像の場所を反対側から見ている事になる。
そう、4枚上の画像の場所を反対側から見ている事になる。
以前訪問しておきながら旧道としてはあまり面白みがないと思い、お蔵入りになっていた画像たちだったのだが、思わぬところで復活した。
旧道自体はこの先どうなることやら・・・
(おわり)