【16年4月10日探索・5月30日公開】
現在地はこの辺
水道施設があった場所から50mも進んでいない場所だが、実はこのあたりを1往復半した。
そう、最初はヘリオス号を担いで突破しようと思いこの場所へと挑んだのだが、無理と判断し、いったん戻り平坦な場所にヘリオス号を停めてから再度この場所へとやって来た。
そう、最初はヘリオス号を担いで突破しようと思いこの場所へと挑んだのだが、無理と判断し、いったん戻り平坦な場所にヘリオス号を停めてから再度この場所へとやって来た。
ヘリオス号同伴を諦めたのは、この崩落が20mほどもあったからだった。
序盤でこんな状況なのは、この先ももっと凄い状態になるだろうという予測もあった。
序盤でこんな状況なのは、この先ももっと凄い状態になるだろうという予測もあった。
いきなりの予定変更となってしまったが、この先は身軽になる分、早く隧道予想点まで行き、戻ってきて冷川峠経由で反対側に向かおう。まだ時間はある。距離としてはあと2kmくらいか。現在12時30分なのであと1時間くらいで往路を終えれば勝機はある。
ところで、右下、何だろう??
崩落してこれが露出したのだろうが、明治時代にはこんな基礎は無かったはずだ。
後年の何らかの施工という事になるが・・・
後年の何らかの施工という事になるが・・・
身軽になったとは言っても、それでも突破は簡単ではなかった。
ズルッとずり落ちながら、20mに5分をかけてようやく突破した。
ズルッとずり落ちながら、20mに5分をかけてようやく突破した。
この道に入って初めて見えた。それは・・・
路肩の石垣だった。
明治の施工である保障は何も無いが、それでもテンションは上がる。
明治の施工である保障は何も無いが、それでもテンションは上がる。
路面状況はあまりよくない。
ヘリオス号同伴ではやはり難しいと思う。
ヘリオス号同伴ではやはり難しいと思う。
ところで、右の路肩に境界柱らしきものが建っているのだが、何も書かれていないので、何を示すものなのかはわからなかった。
このあたり、約100mだったろうか。
石垣施工はこの数メートルだけだったが、路面の方は林鉄の築堤を思わせるような、コンクリの簡易舗装のような状態になっていた。
いつ頃の施工なのだろうか?コンクリートが使われだした頃には、既にこの道は旧道落ちしていたはずなので、施工時期と目的も気になる。
石垣施工はこの数メートルだけだったが、路面の方は林鉄の築堤を思わせるような、コンクリの簡易舗装のような状態になっていた。
いつ頃の施工なのだろうか?コンクリートが使われだした頃には、既にこの道は旧道落ちしていたはずなので、施工時期と目的も気になる。
ここは馬車道だった事がよくわかる。
境界柱っぽいものは、この他にも何本かあったが、いずれも無地であり、情報を得る事は出来なかった。
境界柱っぽいものは、この他にも何本かあったが、いずれも無地であり、情報を得る事は出来なかった。
特に谷でもないのにこの20mくらいだけ、路面は湧水のためか濡れていた。
このあたり、平穏な状況が少し続くようだ。
少し早足で進んで、今のうちに距離を稼いでおこう。
少し早足で進んで、今のうちに距離を稼いでおこう。
路面が狭くなる場所はあるが、この200mほどは割と平穏だ。
(その3へつづく)