【16年1月24日探索・5月8日公開】
現在地はここ
正面はこの後通る予定のエスケープ道路だ。地図では接続していないように描かれているが、国道の現道に出られるようだ。
私は、この画像で言えば左からやって来た。で、いったん右のポールが建っている道へと向かう。
ところで、ポールに何か書かれているようだが・・・
私は、この画像で言えば左からやって来た。で、いったん右のポールが建っている道へと向かう。
ところで、ポールに何か書かれているようだが・・・
驚いた事に真新しく見えるポールには「静岡県」の文字が書かれていた。
実は、今でも廃止されていないなんて事もあるのか? いずれにせよ、現在でも静岡県が管理しているらしい。
実は、今でも廃止されていないなんて事もあるのか? いずれにせよ、現在でも静岡県が管理しているらしい。
ポールの先の廃道を進む。が、このエスケープ道周辺部分だけは、このような平穏な状態だった。
ここで、三たび、海を見る。
トモロ岬の突端が見えるのは先ほど同様なのだが、実際この日のブレイクにはもってこいの景色だった。
トモロ岬の突端が見えるのは先ほど同様なのだが、実際この日のブレイクにはもってこいの景色だった。
前に進もう。
でかいコンクリ構造物が転がっていた。左の擁壁なんだと思うのだが、これが一体どこからここに落ちてきたのかはわからなかった。
でかいコンクリ構造物が転がっていた。左の擁壁なんだと思うのだが、これが一体どこからここに落ちてきたのかはわからなかった。
その先、人が通れるまともな道は完全に消失していた。
獣道のような踏み跡と、右にはロープが張ってあるのだが、これは、おそらく釣り人達のスポットへのアクセス用と思われる。
獣道のような踏み跡と、右にはロープが張ってあるのだが、これは、おそらく釣り人達のスポットへのアクセス用と思われる。
あ!
今度のコンクリの塊は・・・
今度のコンクリの塊は・・・
完全に埋もれた隧道だった。城東隧道だ。
扁額がわずかに残っており、右書きの「城」という字だけが完全に残っており、「東」の文字の半分と、竣工年なのだろう、「昭」の字だけが読めた(そのつもりになって見れば「和」も見えるような気がした)。竣工自体は昭和4年(隧道データベースより)なのだが、ここに「昭和4年竣工」と刻まれていたのかどうかはわからない。
扁額がわずかに残っており、右書きの「城」という字だけが完全に残っており、「東」の文字の半分と、竣工年なのだろう、「昭」の字だけが読めた(そのつもりになって見れば「和」も見えるような気がした)。竣工自体は昭和4年(隧道データベースより)なのだが、ここに「昭和4年竣工」と刻まれていたのかどうかはわからない。
で、数年前に大御所さんがこの埋没隧道を発掘して入洞したはずだったのだが、2016年1月現在、とても人が入れるような状態ではなかった。実際、カメラだけを入れることすら叶わなかった。
隧道脇のこんなスペースから隧道の上に行ってみよう。
このワイヤーたち、落石防止フェンスでも支えていたものだろうか?
周囲を見まわしてみたが、本来の用途はわからずじまいだった。
このワイヤーたち、落石防止フェンスでも支えていたものだろうか?
周囲を見まわしてみたが、本来の用途はわからずじまいだった。
で、これが城東隧道の坑口上だ。
少し平場があっただけで、だから何だというワケではないのだが、この場所で折り返すとなったら、何かしたくなったのだった。
少し平場があっただけで、だから何だというワケではないのだが、この場所で折り返すとなったら、何かしたくなったのだった。
平場からまたワイヤーを伝って隧道脇に降り立った。
私はこの反対側へと戻っていくのだが、一応先の「釣り人道」を撮影した。
私はこの反対側へと戻っていくのだが、一応先の「釣り人道」を撮影した。
国道とは関係ないのだが、この道、危なすぎだぞ。
(その6へつづく)