【16年1月24日探索・5月9日公開】
現在地はここ
とりあえず地図を見ていて気になったのは、国道現道の友路橋を過ぎたすぐ先にある隧道のような記号だった。これがその「何か」であるようだ。
ん??
それは、見たことも無いような水路だった。
滝に近いような角度だが、衝撃を弱めるための突起が多数ある。
見える部分だけが地上部分であるようだ。隧道記号はこういう事だったのか・・・
滝に近いような角度だが、衝撃を弱めるための突起が多数ある。
見える部分だけが地上部分であるようだ。隧道記号はこういう事だったのか・・・
さて、先に進もう。
この「エスケープ道」はもともと、ある施設のアプローチ道である。
その施設の建物が見えてきた。
この「エスケープ道」はもともと、ある施設のアプローチ道である。
その施設の建物が見えてきた。
東伊豆町隔離病舎、結核患者などが隔離されていたとされる病院で、心霊スポットとしても有名な場所だった。
しかし、ここもパソコンの画面で見ていた記憶の状態からすると、劣化が激しい。
しかし、ここもパソコンの画面で見ていた記憶の状態からすると、劣化が激しい。
そもそも廃墟は守備範囲外なので、外から眺めるに留めておく。
どちらにせよあまりキモチのいいものではないし・・・
どちらにせよあまりキモチのいいものではないし・・・
この場所に興味のある方はこちらのサイト様の記事が一番詳細に書かれていると思いますので、どうぞ。
前の画像の建物を回りこんだ先に歩行者用の階段があり、それを上ると国道の現道が見えてきた。
現在地はここ
現道から隔離病棟までこんなに近くていいのか?というくらい近かった。
隔離病棟は昭和33年(1958)から昭和57年(1982)まで運営されていたらしい。で、現在の国道135号線が東伊豆道路という有料道路として開通したのは昭和42年(1967)4月なので、しばらくの間道路のすぐ脇に隔離病棟があった事になる。
まあ、ここの患者は比較的軽度な方たちだったそうだが・・・
隔離病棟は昭和33年(1958)から昭和57年(1982)まで運営されていたらしい。で、現在の国道135号線が東伊豆道路という有料道路として開通したのは昭和42年(1967)4月なので、しばらくの間道路のすぐ脇に隔離病棟があった事になる。
まあ、ここの患者は比較的軽度な方たちだったそうだが・・・
画像と関係ない事ばかり書いてしまった。
私はこの友路橋を通り、デポ地点に戻りヘリオス号を回収してくる。
私はこの友路橋を通り、デポ地点に戻りヘリオス号を回収してくる。
この画像は、2枚上の画像の左側、これからのレポの進行方向に見えた友路トンネルだ。
銘版は見当たらなかったが、坑口左側に「トモロトンネル」というカタカナ文字のプレートが埋め込まれていたのが印象的だった。
銘版は見当たらなかったが、坑口左側に「トモロトンネル」というカタカナ文字のプレートが埋め込まれていたのが印象的だった。
これがその友路トンネルの内部なのだが、一つ上の画像からだとちょうど30分後の画像だ。ヘリオス号回収と、再度ここまでに要した時間だ。
トンネルを抜け、しばらく走る。
ここだ! 反対側アプローチポイントを見つけた。
ここだ! 反対側アプローチポイントを見つけた。
(その7へつづく)