【16年3月6日探索・5月2日公開】
現在地はここ
群馬県高崎市寺尾町 館の百庚申だ。
寛政10年(1798)から寛政12年(1800)に造られたものであるという。
当時の上州では書道が盛んだったらしく、それぞれの碑に刻まれている庚申の文字はそれなりの書家のものもあるそうだ。現在約60基が残存していると案内板に書かれていた。
当時の上州では書道が盛んだったらしく、それぞれの碑に刻まれている庚申の文字はそれなりの書家のものもあるそうだ。現在約60基が残存していると案内板に書かれていた。
現在地はここ
百庚申はおまけで、本来の目的地はここからだ。
昭和30年代くらいまで使われていた亜炭の炭鉱跡がこの付近にあるはずだ。
昭和30年代くらいまで使われていた亜炭の炭鉱跡がこの付近にあるはずだ。
地図には描かれていない道を入っていく。
実はここ、以前にも訪問していて、何も発見できずに撤収していた場所なのだ。
ここは以前入っていった場所よりも1段下の道なので、今度こそ・・・
ここは以前入っていった場所よりも1段下の道なので、今度こそ・・・
入って10mでこんな激藪になった。
いきなり、やる気をそぐなあ・・・
いきなり、やる気をそぐなあ・・・
それでも、少しはまともな状態の空間になった。
キョロキョロしていたら、何かを見つけた。
宝焼酎の空き瓶だな、しかもかなりの本数だな。
ここで酒盛りが繰り広げられていたのか??
ここで酒盛りが繰り広げられていたのか??
平場には特に何も無さそうだったので、起伏のある方に移動してきた。
私は少なからず焦ってきた。
既に入り込んでから25分が経過しているが、まだ何も発見できていない。
同じ場所での連敗は避けたかった。
既に入り込んでから25分が経過しているが、まだ何も発見できていない。
同じ場所での連敗は避けたかった。
あ!
画像ではわかりにくいが、確かに人工の何かがある事はわかった。
すぐにそれが見える位置に移動する。
すぐにそれが見える位置に移動する。
コンクリの、これは何だろう・・・
索道支柱の基礎か何か、そんな感じに見える。
そして・・・
索道支柱の基礎か何か、そんな感じに見える。
そして・・・
ほぼ同じ場所で振り返ったら、何か不自然な穴があるのが見えた。
あれこそ、探していたものか??
(後編につづく)